さっきと同じ道を戻ったのですが、鉄管の柵、支柱部分が宮城県の観光振興キャラ、むすび丸さんでした。ちなみにこの人、こんな格好ですが、協議会事務局係長の正式な肩書を持っています。…どういう設定なの。



さて、公園に戻って来ました。あと15分で出港ですから、そろそろ遊覧船乗り場に向かいましょう。



その途中、海側にぐるっと迂回する場所があるんですが、どうもこれが伊達家が松島に建てた別荘、観瀾(かんらん)亭のようです。
ちなみに現地の解説では秀吉の伏見(桃山)城の建物の一部を政宗が譲り受け…といった説明がありましたが、秀吉時代の伏見城は関ヶ原の合戦の前に徳川の鳥居元忠が籠城、これを襲った西軍(小早川と島津)が完全に焼き払ってますから、それはあり得ませぬ。

そもそも、秀吉の遺構を徳川幕府になってから自領に持ち込むなんて冒険を伊達家がするはずがなく、普通に考えて徳川が建てた三代目伏見城のものでしょう。あの城が廃城になる時に譲られ、ここに持ち込まれたのだと思います(最初は江戸藩邸に移築したらしい)。それでも江戸初期、まだ桃山時代の匂いが残る建物ですから、ちょっと興味があります。後で寄ってみませう。



その建物の下は浸食が進んでおり、やはり岩盤は弱いな、と思う。
ここを取り囲む遊歩道はひょっとすると、浸食防止のための防波堤を兼ねてるのかもしれません。



その観瀾亭を遊覧船乗り場から振り返る。たしかに戦国から桃山期の質素な造りの、いい感じの建物です。

ちなみに、そもそもこの一帯は仙台藩の別邸で、この周辺にはもっとたくさんの建物があり、幕府の使節とが来ると接待月見の会とかが開かれていたそうな。芭蕉もそうですが、江戸期でも昭和のハワイ、パリ、のような遠くの憧れの土地ではあったんですかね、松島。期待が大きすぎると、おそらくガッカリ度合いも多くなるだろうに、接待は大丈夫だったのか、と心配になりますが(笑)…。

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