さて、今回の北上ルートについても少し説明しておきましょう。

東北本線&東北新幹線は宇都宮経由で東北の入り口、白河の関を超え福島から仙台にまで北上します。大和朝廷が東北に進出して以来、仙台に至る主要道、旧奥州街道沿いに進む経路であり、国道、高速道路と合わせて仙台〜東京間を結ぶ大動脈経路です。

対して水戸経由で海沿いに仙台まで北上する常磐道&常磐線もまた古い道の一つなんですが、常磐道として仙台まで直結されたのは明治以降でした。江戸期には水戸までの水戸街道、そこから先の浜街道に分離され、どちらかというと裏街道的な存在になっていたのです。この辺りの理由は不明ですが、現在でも東京から仙台に向かうなら宇都宮、福島経由の旧奥州街道沿いが主となっている印象が強いです。

実際、私は東日本大震災で常磐線が分断されるまで、上野から水戸経由で仙台まで鉄道が繋がってることすら知りませんでした。そもそも常磐の常磐は、水戸の先、いわき市辺りまでを指す地名ですからね。



■Craft MAPさんの白地図作成サービスで作成、一部を加工して使用

今回の旅では行きは海沿いの常磐線経由で通常特急「ひたち」を利用、帰りは普通に東北新幹線を利用しました。

半額セールだと両者の価格差はほぼ1000円程度になってしまうので、本来は行きも帰りも新幹線が一番効率的なのですが、JR東日本の在来線特急の中で最長の約370qを走破する仙台行き「ひたち」に一度乗ってみたかったのでこうなりました(通常特急としての営業距離ではJR九州の「にちりんシーガイア」、JR西日本の「スーパーおき」に次いで日本第三位)。
とりあえず大都市間を在来線特急で長距離移動できるのは、今では仙台〜東京間のこの列車だけですからね。ちなみに所要時間は約4時間半で、新幹線の二倍以上かかります(笑)。

そしてもう一つの理由が、常磐線は廃炉作業中である、あの福島第一原子力発電所のすぐ横を通るのです。2020年春にようやく9年ぶりの全線復旧と聞いて、てっきりこの一帯は新規に迂回線を造ったのだろうと思っていたのですが、調べてみると従来と全く同じ、原子力発電所のすぐ横を通過する線路を使っていました。かなり驚いたのですが、それなら一度は周囲を見て置きたい、と思ったのも今回の旅行の動機の一つだったりします。
ここは日本という国が背負いこんだ史上最悪にして最大の負債であり、おそらく百年単位で今後も付き合っていかねばならぬ負の遺産ですから、見れるだけのものを見て、それから落ち込もう、と思ったのです。

以下はやや余談。

2011年の東日本大震災は未だに多くの傷を日本に残してますが、私自身もまだその衝撃から完全には立ち直ってません。
行方不明のままの人を含めれば約1万8千近い命がこの海岸線に沿って一日の内に失われました。近代先進国において自然災害でこれだけの死者、行方不明が出た例は他に存在しません。そもそも千人を超える災害すらまれで、桁違いと言っていい人命が一瞬のうちに日本の中で消えたのです。当時、あまりの数字になんてこった、と呆然となったのを今でも鮮明に覚えています。

そして日本の自然災害犠牲者の多さ、特に地震での犠牲者の多さは先進国の中では際立って多いのです。
現在、先進国と呼ばれるG7に含まれる国家の中で(カナダが先進国かは個人的には疑問だけど)、自然災害で5000人を超える犠牲者を出した国は、第二次大戦以降、日本以外では一つもありません。対して日本は1995年の阪神大震災(約6400人)、そしてこの2011年の東日本大震災(約1万8400人)と二度も5千人を超える犠牲者を記録しています。一定レベルの政治と文明を持つ国家としては異常、と言っていいでしょう。

神様はこの国に何か恨みでもあるのか、というのと同時に、なんでここまで地震にもろいのだろう、と思わざるを得ません。この点は今でも思ってますし、そして今でも理由がよく判りませぬ。

ちなみに20世紀以降、後にG7のメンバーとなった先進国において10万人規模の犠牲者を記録した自然災害は二つだけ、ひとつは1923年の関東大震災、もう一つは1908年にイタリアで起きたヨーロッパ最悪の悲劇、メッシーナ地震です(Terremoto di Messina del。この時は地震と津波が重なった。死者数は8〜12万の間で定説は定まってない)。すなわち、20世紀以降、先進国における自然災害で最も多くの犠牲をだしてるのが日本であり、それも全て地震が原因となっています。なんなんだろう、これは、という思いがどうしても残ります。

そして東日本大震災の人命損失で最大の被害を受けたのが宮城県でした(9543人で過半数を超える)。私はそこに行くのだ、という意味も込めての常磐線を使っての北上としたのでした。

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