さて、朝のオリオン通りを抜けて向かうのは… ここです。宇都宮の心臓と言っていい、二荒山(ふたあらやま)神社でございます。 前回の訪問時にドン・キホーテの入り口からこのたたずまいを目撃、宇都宮にこれほどの神社があったのかと驚きながらも、見学する時間が無かったのです。その敵討ちでございます。 宇都宮の中心をなす通り、旧奥州街道でもある馬場通りを渡ります。 画面奥の左手に東武の宇都宮駅があり、そこから画面奥方向に曲がれば日光街道、こちら側に来れば奥州街道となってます。旧奥州街道である国道4号は現在、宇都宮の中心部に入る前、その南で旧日光街道、国道119号と分岐してますが、本来はこの宇都宮の宿場で分岐してました。 ちなみに街道としては奥州街道の方が古くからの主要道路だったんですが、江戸幕府は日光街道を先に整備し、宇都宮から先、白河までの区間は後から整備したため、お江戸日本橋から始まるのは日光街道、宇都宮から分離するのが奥州街道という形になっています(実際は陸奥、青森まで続くが道中奉行の管轄下に置かれなかったので奥州街道と呼べるのは白河まで。その先は勘定奉行の管轄だったらしい)。 このため奥州街道は、唯一、日本橋を起点としない五街道となってます。ただし幕府もどこからどこまでを奥州街道と正式には指定してないようなので、日本橋から宇都宮までを日光・奥州街道と併記する場合もあるんですけども(厳密には海道、または道中)。 そして後で見るように、この両街道の分岐点を抑えるように建てられているのが宇都宮城なのでした。 その両街道の分岐点横の高台にあるのが、この二荒山(ふたあらやま)神社。 標高135mと標高100m前後の宇都宮の中心部よりさらに高い丘の上に鎮座しています。私ならここに城砦を造りますから、元はそういうった施設だったはず。ただし、この神社は災害続きでまともな社史が残っておらず、江戸期以前の古い時代の状況は誰も知りませんから推測の域を出ませんけども。 でもって気が付いた人もいるかと思いますが、同じ字を書く古い神社が日光にもあります。 ただしあちらは「ふたらさん」と読みますが、これはは日光男体山の旧称です。そのアイヌ語と思われるフタラに「二荒」の字を当て、さらにこれを呉音の仏教式に読み下し「にっこう」としたのが日光の語源ですね(フタラを観音経の補陀落に求めるのは時代的に無理があろう。7世紀に伝来したとはいえ、関東北端の山奥の地に観音経の教養を持つ人間が居るとは思い難い。そもそも仏教用語なら二荒を呉音で読むはずで、フタラにはならん。周囲に百済系の移民の痕跡もないし)。 普通に考えると宇都宮の神社も「ふたらさん」だと思うのですが、調べてみた限りでは「ふたあらやま」と主張してるようです。さらにちなみに日光と宇都宮の二荒山神社は俺が本家だ、という事で仲が悪いとされますが、まあ、どうでもいいので無視しましょう。 階段の途中から振り返ると例のドン・キホーテが見える。あの向こうがオリオン通りです。ついでに来らっせ、あんなマスコットキャラが居たのかと知る。 |