宮崎駿さんの愛車にして、クラリス・ド・カリオストロによる車泥棒事件の主役となったフランスのシトロエン2CV。
これをここで見れるとは。しかもボンネットが波板で、フロントグリルが大型ですから1956年で生産が終了した初期生産のA型ですね(シトロエンのマークに円環が無いので1952年以降の後期A型)。宮崎さんとクラリスが乗っていたのが、まさにこの世代の2CVです。

1949年発売開始で1956年に生産終了した初期型なのですが、1964年当時の日本に輸入されていた外車、といった感じの展示なのでしょう。ちなみに2CVはその基本的なデザインを踏襲したまま1990年まで生産が続いており、ドイツのフォルクスワーゲンのビートル(Type1)と並ぶロングセラーでした。ヨーロッパの大陸車にはそういった車がいくつかあります。
ちなみに2CVもビートルと同じく設計は第二次大戦前に行われながら戦争の勃発で生産が中止され、戦後にその製造計画が再開された車です(ただし300台以下が戦前に試験的に製造された説もあり)。

この点、フォードの強い影響下にあったイギリスはアメリカ式の毎年バンバンモデルチェンジする文化だったのですが、間もなくイギリスの自動車メーカーは絶滅してしまいました。ちょっと考えさせられる部分でもあります。

独特の愛嬌のあるスタイルで人気の2CVですが、設計段階では実用性が強調され、デザインはどうでもいい扱いだったそうな。ちなみに発売当時の評判は散々で、アメリカの雑誌とかでは「走るブリキの空き缶」などとまで書かれてました。それでも大衆には大人気となり、ドイツのビートル(TYPE1)、イタリアのフィアット500のようにフランスを代表する車となりました。

2CVの名はフランスの自動車税の区分、2馬力級の意味で(税制区分のための名称で実際に2馬力のエンジンではない)、日本の軽がスバル360と名乗ってたのと同じような命名です。愛想も何も無い名前ですが、宮崎さんの個人事務所、二馬力の名の元がこれですな(ただしご本人は奥さんと自分の二人で細々と運営するつもりだったから二馬力と発言していた時期がある)。他国の税制区別を会社名にした例は、おそらく世界でもほぼ唯一のような気がします(ちなみに現在はジブリに吸収合併されてしまって存在しない)。

余談ながら女性が2CVを運転して無茶苦茶な暴走をし、各部をふっ飛ばしながらの疾走するカリオストロの城の元ネタは、おそらくフランスのコメディ映画、サントロペシリーズの第一作、「サントロペの憲兵(Le Gendarme de Saint-Tropez)」に登場するスピード狂の尼さんでしょう。その日本公開は1967年1月14日。

さあ、脱線するぞ(笑)。
宮崎さんが最初に中古の2CVを買ったのは元プリンス自動車の社員からでした(以後、少なくとももう二台買ってるが)。これは日産に合併された後、社員は全員日産の車に乗れ、という事になり、手放さざるを得なくなった車を買いとったものです(以上は大塚康生さんの回想による)。そのプリンスと日産の合併が1966年8月。
でもって当時は庶民にとって高嶺の花だった自家用車を宮崎さんが購入する時の大義名分、おそらく奥さんへの言い訳としたのが「今後、子供を託児所に送るため」で、その子供、長男である吾郎さんが生まれたのが1967年1月27日、すなわち映画の公開直後です。

以上から、宮崎さんが2CVを購入したのは「サントロペの憲兵」を見て、その暴走に感心したからであり、その影響を受けて暴走する羽目になったのがクラリスである、という説をここに提唱しておきます。ついでにホームズのハドソン夫人の暴走もこの流れの上でしょうね。
ちなみにこのフランス映画で尼さんが暴走させていたのは第三世代の2CV AZの後期型(多分AZL)で、初代A型に比べて倍の18馬力を出してました。まあ、それでも18馬力なんですが、さらに非力な9馬力 2CVであれだけの暴走をやったクラリスは運転に関してかなりの才能の持ち主と思っていいでしょう。



正面から。

縦長のフロントグリルも初期型の特徴で、非力な空冷エンジンにこんな広い隙間がいるのか、と思ってしまいますが、軽量化対策なのかもしれません。シトロエンのマークの下の穴はクランク ハンドル挿入口。初期のA型はセルモーターもなく、ハンドルを差し込んでクランク軸を回してエンジン始動してました。途中からセルモーターが付いた、という話もあるんですが、確認できず(ちなみに以降の新型でもボンネットを開けるとエンジン下に差し込み口がありクランクによる手動始動は可能。なので日本の2CVオーナーミーティングなどでエンジン早やがけ競争をやってたりする)。

 
横から。ケツが跳ね上がってるのは2CVの特徴なんですが、ちょっとこれは跳ね上げすぎのような印象もあり。ホンダコレクションホールの車は可動状態らしいので、単なるレストアミスとも思えませんが…。

初期の2CVの特徴、前席のドアノブの位置にも注目。このドア、後ろ側に開くのです。ただし、これはA型とAZの初期型のみの特徴で1963年ごろまでに生産された車までだけがこのタイプのドアでした。ちなみにカリオストロの城ではA型なのに普通に前に開いてますが、当時すでに宮崎さんが二代目の2CVに乗り換えてしまっていた故の勘違いでしょう(ご本人が原画チェックしてるはずだが)。



屋根はキャンバス地、開閉できる布製です。
ただしこれは決してオシャレでマドモアゼルなフランス式設計ではなく、非力なエンジンでまともに走るには徹底的な軽量化が必要だったためと、安価な大衆車として少しでも安くするため鋼板の使用面積を減らさねばならぬ、という切実な必要に迫られた設計でした。

デビューした時のエンジンは空冷375cc、9馬力ですから、これは現在のCT125ハンターカブとほぼ同じ馬力でした。それで大人を四人乗せて坂道も昇らなくてはなのですから、削れる重量は徹底的に削れ、という事で屋根の鋼板は剥がされ、ボンネットも波板にして強度を上げた薄いものにされてしまっています。これらは同時に、コスト削減にも貢献したようです。ちなみに後にエンジン馬力が上がるとボンネットは普通の鋼板になりましたが、屋根は最後まで布製のままでした。2CVの代名詞的な部分となってしまい、変えるに変えられなかったんでしょうかね。

が、この開閉式のキャンパス屋根のおかげで、長い荷物を車内に乗せられたり、崖から落下するルパンが車内からの脱出に成功するわけですから、ある意味、弱点を利点にした設計とも言えます。

フロントガラス下の隙間は換気用というか、室内冷却用のドア。窓の曇り止めの意味もあったのかもしれません。初期の車体は全く窓が開けられず、途中から前座席の下半分だけは開けられるようになったものの(ドアに収納するのではなく上に折り曲げて開ける)、室内換気のために必要だったのだと思われます。

夏でも涼しいヨーロッパで造られた車はそういった面があります。昔はエアコンも貧弱でしたし。

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