当時の日本代表ともいえるスバルの360、いわゆるテントウムシ。 これも1958年発売開始ですから1964年の展示としては微妙ですが、1970年まで生産が続いてたので、ありなんでしょう。 ちなみにこの車のドアも後ろ側に開きます。ヘッドライトなどから最終生産型だと思いますが詳細は不明。エンジンは空冷の2サイクルで16馬力と、当時としてもあまり高馬力では無いモノになってます。 屋根は当時としては珍しいGFRP、ガラス繊維強化プラスチックですが、これも2CVと同じ、少しでも車体重量を軽くするための工夫でした。雨の多い日本では布地は難しかったのでしょう(ただし後にキャンバス屋根タイプもラインナップに登場する)。 こちらはマツダの360cc軽自動車ののキャロル。多分、現物を見るのは初めて。 1962年発売の車ですが、当時の軽自動車としては珍しい水冷、しかも4サイクルエンジンでさらにアルミ合金を使用、18馬力を出してました。ちなみにこんだけ長いボンネットを持ちながら、エンジンは車体後部に積まれてるリアドライブ式です。展示の車は1966年のマイナーチェンジ後の後期型のようです。最終的に1970年まで生産されてました。 これも実車は初めて見たトヨタの初代パブリカ。1961年の発売です。しかし、ここはホントにいろんな車を持ってるな。 ちなみにパ「プ」リカ(Paprika/ナスカの野菜)じゃなく、パ「ブ」リカ(Publica)ですから注意。当然、よくある和製英語で、Public Car、大衆車の略でパブリカだそうな。私の知る限り、Public Car をどう訳しても大衆車にはならない気がしますが(そんな英語は無く、あえて訳すなら公共車か)…。 当時の軽自動車の倍近い700t(厳密には697cc)の4サイクルエンジンで28馬力を出しており(ただし空冷)、360ccの軽とは違うのだよ、という車になってました。ところが発売当初はほとんど売れず、1963年にマイナーチェンジしてようやく軌道に乗りました。後に大ヒットしてトヨタの屋台骨となるのは1969年に登場する二代目からです。 ちなみにこの車は先に見たトヨタ スポーツ800の原型でもあり、ここから多くのパーツが流用されてます(700ccのエンジンを800ccにボアアップし搭載。後に同じエンジンをパブリカのスポーツタイプ、コンバーチブル後期型(1966年発売)が搭載したらしい)。 そしてこれも見れてうれしかったフィアット500、いわゆるチンクチュント(Cinquecento イタリア語の500)。 高畑・宮崎ルパンにおける一味の愛車であり、作画監督だった大塚康生さんの愛車でもありました。500の名前を持つフィアットの車としては二代目に当たるこれは1957年から発売開始、1977年まで製造が続いてます。 展示の車はドアが後ろに開く前期型、1965年以前に生産されたタイプですね。2CVと同じようなドアの歴史を持つのも興味深い所。余談ですが、大塚さんが購入したのが後期型だったため、ルパン一家のフィアット500も後期型で、ドアは普通に前に開きます。 空冷で後部エンジン室の後輪駆動の小型車であり、ドアの開き方などからしても、どうもスバルの360がかなりの影響を受けてる気もします。 ちなみにこの車も屋根は布地、キャンパストップで、その採用理由は2CVと同じでしょう。こうして見ると、完全に全金属製だったフォルクスワーゲンのビートルって凄いんですよ。基本設計は戦前ですしね。 ちなみに設計者のジサコーサ(Dante Giacosa)によれば全体に丸みを帯びてるのは箱型にすると表面積が増える=必要な鋼板が増えて重く、コストが高くなるからだそうで、これは恐らくビートルも同じ理由で丸くなってます。 といったところで、今回はここまで。いやはや、やはりここの展示の紹介は一筋縄では行かぬのう… |