中華庭園らしいこんな建物も。ただし両者とも鉄筋コンクリート造りで、歴史的な建造物では無いようです。
奥の建物、中に入れるかな、と思ったんですが周囲を回れるだけでした。
公園の奥にあるちょっと洒落た建物が228事件紀念館。誤字ではなく、紀念、です。これは日本語の記念と同じ意味ですが、昔は日本でも紀念という表記があったので、その名残かもしれません。その名の通り、228事件の展示を行ってるのですが、この建物はかつての台湾放送協会、すなわちTHKの放送局だったものです。当然、これも日本統治時代の建物です。
ここは228事件を通じ、本省人(台湾市民)と外省人(国民党関係者)が、奪い合い、支配下に置いた直後からそれぞれ自分たちの宣伝放送を行った舞台でもあります。この事件、突発的な暴動だったはずなのに、市民側も最初から放送局を狙い、情報を支配下に置く、という軍事クーデターのような周到な行動を行っています。この辺りに、まだこの事件で触れられて無い裏面があるような気もするんですが、そこまで調べる気力も、中国語読解力も無いので、この話はここまで。
ちなみに入場料は20元、約70円でした。
正直な所を述べてしまうと、日本時代のレトロな建物を見たい、という理由で中に入ったのですが、残念ながら全面改装されてしまっていて、当時の面影はほぼありません。その代わり、私はよく知らなかった228事件が、ここの展示でかなり理解できました。ほとんど中国語の解説しか無いんですが、なんとなく意味は通じますから、興味のある方は一度訪問して見る価値はあります。
ちなみに何の説明もありませんでしたが、この灯篭みたいなのは、戦前の台湾各地の公園に置かれていた街頭ラジオ。当時、まだ高価だったラジオをこの中に入れ、市民の人たちが周りでこれを聞く、というモノでした。
当然、台湾だけで無く日本本土にもあったもので、こちらはラジオ塔と呼ばれてました。なぜか第二次大戦前後に一気に日本中の公園に設置されたんですが、意外に知られておりませぬ。ちなみに、ほんとんど首都圏には現存しておらず、関西方面、京都、大阪のモノが有名です。近所の人は、それとは知らずに見てると思います。
228事件の時、市民のデモ隊が行進したルート図。
台北北部からスタートして、北門、台北駅横を通って南門まで南下しています。南門のちょっと北側(画面左)にある小さな緑色の丸がこの建物、当時の台湾放送協会です。その後、北に反転して東門を通り、最終的に赤い丸で示された、機銃掃射による市民虐殺が行われた場所に向かうのです。ちなみに日本語の資料だと市庁舎で機銃掃射が起きたとされてるものが多いですが、この地図では長官公署、当時の国民党から台湾に派遣されていた責任者、陳儀が居た知事官邸という事になってます。恐らくこっちが正しいのだと思いますが。
階段周辺だけは、往時の面影を留めてました。といった感じでこの建物の見学は終了、再び外へ出ます。
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