駅の外に出るとこんな感じ。昨日までは台湾でも11月は寒いな、と思ってたんですが、この日の昼間くらいから気温が上昇、以後は朝夕を別にすれば、半袖で過ごせるくらいの気温になりました。
道路を挟んで向こう側にあるのが、駅名の由来となってる台湾大学附属病院。
歴史ある感じの建物は日本統治時代からのもので、当時は帝大の一つだった台湾大学の附属病院として造られたもの。これも観光名所の一つになってるようです。
でもってこれが駅の上に広がる228和平公園。日本語では語順が逆になって平和公園ですね。
その名の通り、台湾の民主化運動、228事件を記念した公園です。228事件は終戦後、1947年2月28日に発生した大規模な民衆弾圧、そして市民虐殺事件です。当時、中国で共産党に敗れ、台湾に逃げて来た蒋介石率いる国民党関係者、いわゆる外省人が引き起こしたもので(対して元々台湾に居た人たちを本省人と呼ぶ)、九份(チウフェン)で紹介した映画「悲情城市」の主題にもなってる事件です。
終戦後、日本領だった台湾が中国領土に戻される事になり、当時はまだ中国本土を掌握していた国民党政府から現地政府の支配者として多くの人材が送り込ました、でもってこの連中はさすがは国民党という感じに腐りきっており、汚職、弾圧、台湾人への不当な差別で現地に大混乱を引き起こします。日本の統治に(本土とは明らかな差別があった)必ずしも満足して無かった台湾人は当初、中国への復帰を歓迎する雰囲気だったとされますが、国民党政府のあまりの腐敗ぶりにあっとういまに歓迎ムードは消し飛び、むしろ反感が強くなってゆくのです。
ちなみに台湾では日本人の支配者階級を狗(威張りくさったくだらない人間、権力を笠に着た役人)、中国本土から来た国民党政府の人間を豚(あらゆるものを食いつす汚職役人)と呼んでました。これを日本人は番犬、中国人は家畜、と都合よく解釈する「日本人」の皆さんが居ますが、そんな良い意味では無いですよ。
そういった状況下の1947年2月27日、台北の路上でたばこの密売をしていた女性が国民党の取締官と警察官により摘発されます。そして、その女性に対する仕打ちがあまりに過酷でした。幼い子供を背負っていたらしい女性は往来で殴打され、お金も商品も全て取り上げられてしまいます。この状況を見た周囲の台湾人が強く反発、警官たちを取り囲んだところ、彼らは威嚇射撃により全く無関係の男性一人を射殺してしまいました。
これが引き金となり、翌28日に大規模なデモが市内で発生、国民党政府が支配する建物に押しかけたところ、機銃掃射によって無差別殺戮が行われ、現場は大パニックとなり(多数の死者が出てるが未だに正確な数は不明)、この大混乱が台湾中に広がる事になります。
この結果、一時は地元の台湾人、すなわち本省人が優位に立つのですが、翌月、中国本土から軍隊が派遣され、状況は逆転します。この間に各地でほぼ虐殺と言っていい殺戮が繰り返され、かつ本省人の政治的なリーダーになりそうな知識階級、とくに日本統治時代に帝大(台湾大学、及び本土の帝大)を出ていた人々は理由もなく逮捕され、その多くが殺されたと見られています。ちなみに国民党の連中ですから、その殺害には利欲が絡んでおり、多くの無実の人たちが殺された後に、その財産を国民党関係者に没収されたと見られています。まあ、腐ってますな。
当時、蒋介石はまだ中国本土に居たので直接の責任はない、という説もありますが、この男が知らなかったはずはなく、さらに蒋介石が台湾に来た後も事件によって布告された戒厳令は続くのです。その解除は台湾の民主化直前の1987年ですから、台湾は国民党により40年近い暗黒時代を経験した、という事になります。
当然、国民党の独裁時代は事件そのものがタブーで、ほとんど知られていたなかったのですが、映画「非情城市」が間接的ながらこの事件を取り上げてから、台湾の内外で注目を集め始めます。このため、1992年の民主化直後に台湾政府が犠牲者を調査したのですが、それによると1万8000〜2万8000人の犠牲者が出た、とされます。ただしまともな資料なんて残っておらず、実際はさらに多かったとする説が有力です。まあ完全な国民虐殺ですね。台湾の歴史にはそういった一面があります。
園内地図。決して広い公園ではないのですが、台北中心部の貴重な緑地となっています。
1997年ごろに設立されたがこの公園ですが、もともと日本の統治時代からあった公園を改装、改名したものです。かつての名前は台北新公園だったはず。台北における228事件の主要舞台でもあるため、こういった記念公園にされたのだと思います。首都のど真ん中にこんな公園がある、というのはある意味スゴイな、と思います。
公園の北門から北上する道路、館前路は台北駅まで繋がる大通りです。画面奥の右手に台北駅があります。距離にして400mくらい、十分、歩ける距離です。ちなみにその手前の左手に今回利用したホテルがあります。
ついでに正門の左右には牛の像が。あちこちでこういった門番の像を見て来ましたが左右に座った牛と言うのは初めて見ました。インドにすらそんなの無かったし。ついでに日本の天神様にある撫で牛に似てますし、実際、背中は撫でられたらしい跡が見えるんですが、何か関係があるんでしょうかね。
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