その先には、こんな看板が。あ、白菜だ。となるとあの有名な翠玉白菜か。右手に見もそれっぽい立て看板がありますし、行ってみましょう。ここを象徴する展示品ですからね。
あ、これだ。朝が早かったからか、あれだけ有名な展示品なのに意外に人は少な目でした。左側の人物の前にあるのが翠玉白菜なんですが、意外に小さいな、と思う。
こんな感じ。白と緑のヒスイ、すなわち玉の色をそのまま利用して、白菜の彫刻にしてしまったもの。ちなみに左に見えてるのが本来の台座。現在の展示法にした後、行方不明になっていたのが、最近になって再発見されたものらしいです。
アップで見るとこんな感じ。よく見ると右上にバッタのような虫が居るの、わかりますかね。
よくできてる、といえば確かにそうなんですが、これは清代末期の作品、すなわち19世紀末のものです。1874年生まれの瑾妃の持ち物と見られているため、その製造年月は日本で言ったらほぼ間違いなく明治中期以降であり、産業革命後の世界の加工技術を考えると、正直言って、そんな大したものではないでしょう。そして芸術的に特に美しいというものでもなく、ああ、こんなものか、というのが個人的な感想です。
これが唐だ漢だという、古代王朝のものならそりゃスゴイ、ですが、明治時代の作品と言われても、当時の日本にですらもっとすごい工芸品、いくらでもありますからねえ…。
横から見るとこんな感じ。
ちなみにもう一つ有名な赤いヒスイによる肉型石もここは持ってるはずなんですが、なぜか今回、見つけられず。どこかに貸し出していたのか。まあ、見れなくてもそれほど残念、というものではないな、というのが正直なところですが…
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