現地到着。 城跡の横にはこんな建物があり、前回訪問時に見た二つの城跡よりはるかに整備されいて、よくもわるくも観光地化されてるな、と思う。 前回見た三つの城(座喜味城、中城城、首里城)は沖縄を統一し、以後明治に至るまで琉球王朝を維持した中山王国文化圏だったのにたいし、ここはその中山に滅ぼされた北山王国の城となっています。両者にどれだけの差があるのか、個人的には興味があるところな訳です。 トイレがやけにオシャレでした。吹き曝しですが、沖縄なら冬も平気なのか。3月は意外に寒かったですが… まだ雨が弱くならないので、とりあえず横にある今帰仁村の歴史文化センター、城跡に付属の博物館を先に見てしまう事にする。 ちなみにこの城跡の見学は有料で、その料金にこの博物館の見学代も入ってます。 ちょっと興味深かった沖縄王家の刀。国宝の千代金(ちよがね)丸のレプリカです。 本来はここ今帰仁城に居た中山王の所有物でしたが後に戦いに敗れた結果、中山王の手に渡り、以後は琉球王朝の宝として伝承されて来たものだとか。反った刀身からあきらかに日本刀で、実際、日本本土で製造されたものと見られています。 鞘が長すぎない?と思ったんですがレプリカ制作時のミスなのか、それとも実際こういったものなのかは判らず。 おそらく16世紀の作とされ、となると日本が熱心にアジア中に日本刀を輸出していた時代の中の一本でなのでしょう。無銘なのでどこまでのモノなのか、私には判断がつきませんが。 ついでにこういった所有物(船、刀、子供)の名前に“丸”を付けるのは日本式の命名で、これが琉球王朝でも行われていたというのはちょっと興味深いです。 勾玉(まがたま)の数珠。 中山王朝に仕える今帰仁出身の巫女さんが代々継承していたものだそうな。どう見ても日本の勾玉ですが、本土のはせいぜい古墳時代まで、あっても奈良時代あたりまでの遺物なのに対し、沖縄で勾玉がひろまったのは12世紀以降とみられ、実に数百年の時間差が存在します。 これは21世紀になって突然、ハワイでチョンマゲが流行するような地域差、時間差であり、なんとも不思議な感じがしますが、この辺りに関しては未だに定説はないようです。 |