ではF-1におけるモノコック・ボディとはどういうものなのか。
まずはそれ以前の構造、鋼管による骨組み構造、スペース・フレーム(Space
frame/中空骨組み)構造から説明して行きましょう。
ホンダがF-1開発用に参考用に購入したクーパーのT-53はモノコック構造ではなく、旧式な鋼管によるスペース・フレーム(中空骨組み)構造でした。すなわちホンダは何の資料も無く自前でモノコックボディを開発する必要に迫られたわけです。このため、東大で航空機の勉強してたんだから多少はモノコックを知ってるだろう、という事で入社4年目、当時まだ26歳だった佐野さんがその設計に抜擢されたのでした。
ただし既に見たように航空機はセミ・モノコックですからF-1のモノコックとは根本的に構造が違います。が、なにせまともに四輪車の生産を経験して無かったホンダでは、誰もその点に気がつかなかったんでしょうね…。実際、佐野さんもそんなの学校では習ってない、という事で一から調べなおして設計に当たっています。
では、それ以前の主流だったスペース・フレーム構造とはどういうものか、簡単に見て置きましょう。
大雑把に図にするとこんな感じ。中空骨組み(Space
Frame)の名の通り、鋼管を使って十分な強度を持った骨組みを造り、そこの空き空間に運転席、エンジン、燃料タンクなどを押し込みます。そして最後に上からカバーを乗せて完成です。本来なら軽量化のためアルミ管の方が望ましいのですが、溶接で組み上げる必要があるため、鋼管が使われていました(アルミの溶接は技術的な難易度が高い)。今でも乗用車などに見られる構造です。
ではモノコック構造はどうなるかというと、こんな感じになります。
この当時は単純なアルミ板で造られていたたため(ホンダはジュラルミンを使ったが)、バスタブ型などと呼ばれる箱型の構造でした。箱の前後には前輪サスペンション、ラジエター、エンジンなどを取り付ける板状の隔壁(バルクヘッド/bulkhead これも元は船舶用語)があり、ホンダの場合、強度確保のため、当初はこれを鋼板製にしてました(後にアルミ製に変更)。この箱型の空間の中に必要なものを入れ、最後にカバーを乗せて完成、という点ではスペース・フレームと変わりません。
では何のメリットがあるのか、というと板(面)を組み合わせて構成されるため骨組みの車体より圧倒的に強度が上がり、走行中に歪みにくくなります。これはサスペンションを介してしっかり車輪を地面に押し付けてグリップを得るには有利です。また、事故を起こした場合でも、より頑丈なためドライバーの安全性が高くなります(後に登場するカーボンモノコックに比べれば紙みたいなものだが)。
そしてアルミ製なので、キチンと設計すれば鋼管の骨組みより軽くできました。さらに箱型のため燃料タンクなどの設置が容易になるのです。このようなメリットのため、1960年代後半にはF-1はほぼモノコック シャシーとなるのですが、1964年の段階で独自開発してしまったホンダはそれなりに先端を行っていたと思います。まあ、その出来はともかくとしてですが(なにせ重すぎたのは既に書いた通り)。
ちなみにF-1にモノコック構造を持ち込んだのは、ホンダの敵、約束だけして逃げちゃったあのロータスで、そのボス、コーリン・チャップマン(Anthony
Colin Bruce
Chapman)が初めてこれを採用しました。それ以外にもウィングやグランドエフェクトなど、多くの革新的なアイデアをチャップマンはF-1に持ち込んでます。ただし、彼の独創ではなく、F-1以外のレースなどで使われていたものを持ち込んだだけ、というのが多いのですが。
ちなみに後により強度を確保できるアルミ・ハニカム(ハチの巣構造板)やカーボン・ファイバーが採用されると、モノコック シャシーはもっと複雑な形状となり、近年のF-1ではカバー不要のほぼ完全なモノコック構造、車体後部のエンジン収容部以外は最初からそのまま走れる形に整形された車体となっています(当然、ウィング類は別だけど)。
ホンダの1500t F-1マシン、RA-271 &
RA-272では赤い部分にジュラルミン製のモノコック シャシーが入ってました。
その先端の隔壁(バルクヘッド)にはラジエターと前輪のサスペンションが付き、そこから先の車体先端部は単なる樹脂製のカバーとなっています。シャシー後部はエンジン前の隔壁(バルクヘッド)までで、その隔壁に固定したエンジンを胴体の延長として利用、後輪サスペンションは車体ではなくエンジンに対して取り付けられる構造になっている、というのは既に見た通り。
この構造はシャシーに取り込めない横幅を持つホンダの特殊な横置きエンジン対策でしたが、後に多くのチームが車体設計の単純化、軽量化のために模倣してますから、ホンダが先駆者になった設計と考えていいでしょう(ホンダのマシンはちっとも軽くなかったのはある意味皮肉だが…)。
そのエンジン搭載法の元ネタになったのがレシプロエンジン搭載の航空機の設計でした。
写真は第二次大戦期のP-47
ですが、セミ・モノコック構造の胴体は隔壁(バルクヘッド)部まで、その先のエンジンは胴体内部には取り込まれずに外付けとなっています。
これと同様にエンジンを胴体中に取り込まず、隔壁に外付けする形にして後部の車体構造を省き、横に長いV12をなんとか車体幅に収めたのがホンダの1500t F-1マシンだったわけです。ここら辺りは東大の航空出てる佐野さんらしいアイデアでしょう。
頑丈な構造を持つエンジンならサスペンションなどを取り付けても耐える、という判断があっての設計だったのですが、これは大正解でした。ただしホンダのエンジンはギアボックス一体型だった上に、サスペンションの取り付け方に問題があり、ギアボックスのセッティングやエンジンの整備のたびに、車体後部をジャッキで支え、サスペンション類を全部外してエンジンを降ろさなくてはならない、という問題を抱え込んでしまうんですけどね。
ただしこの辺りは車体設計と同時に、横置き&ギアボックス一体型という設計をやっちゃったエンジン屋さんの責任でもあります。
それでもとりあえず時代の先端を行く設計であったのは確かです。ホンダスゴイ、と思います。
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