1972年に登場した、ホンダ伝説の一面を飾る低公害エンジンCVCC。 このエンジンでは公害対策のために薄い気化燃料を燃やす構造にしたのですが、これが結果的に燃費の向上につながりました。このため1973年に訪れた石油ショックによるガソリン価格の高騰の中で、CVCCの低燃費性能はホンダの強力な武器となって行きます。 よってホンダは馬鹿みたいにガソリン食ってひたすら高馬力を目指すF1エンジンと、最低限のガソリンで最大限の走行距離を走るエンジンを世界で初めて両立させてしまったメーカーでもあるのです。当時のホンダの経営規模は、フォード、GM、フォルクスワーゲンなどと比べてはもちろん、国内でも小規模な方でしたから、スゴイと言うしか無いでしょう。 CVCCはCompound Vortex Controlled Combustion、複合渦流調速燃焼の略ですが、妙に理屈っぽいというか単に副燃焼室を持ったトーチ点火(torch ignition)だけのエンジンの名前にしては訳が判らん、という印象があります。 これには理由があって、まだ特許申請する前に本田宗一郎総司令官がこれを発表すると言い出したため、実際の技術をあえて判りにくくするカモフラージュ命名だったと開発総責任者だった伊達さんが後に証言しています(1971年2月に本田宗一郎総司令官自らがCVCCを発表)。 ちなみに発表段階では技術検証実験が終わっただけで、実際のエンジンは全く形になってませんでした。N600と呼ばれたわずか300tの実験用単気筒エンジンがあったのみだったのです。勇み足にも見えますが、発表した以上、お前ら絶対にモノにしろ、という本田宗一郎総司令官らしい戦略だったとも言えます。 ちなみに本田宗一郎総司令官はこの後、1973年10月に本田技研工業の社長を引退、二代目の河島さんにその座を譲っているので、彼にとっても最後の大仕事だった事になります。 低公害エンジンは後発の四輪車メーカーだったホンダが一気に優位に立てる技術となる、と本田宗一郎総司令官が判断していた事もあり、かなり早い段階、まだF1参戦中の1966年ごろからすでに研究をスタートさせています。これを担当したのがホンダの大気汚染対策研究室、いわゆるAP研でした(Air Pollutionの頭文字。ただしCVCC完成の前1970年末に組織変更により発展的消滅)。また、その技術顧問として東大の浅沼教授が協力してます。この人、本来は航空工学の人なのですが、流体力学の延長で、内燃機関内の流体現象も得意としていたようです。 これらは技術的には挑戦しがいのあるテーマでしたが、それまでハイパワーの極限を求めていたエンジン屋の皆さんにはつまらない仕事だったらしく、例のF-1大将、後の四代目社長である川本さんは、開発終了後の1973年、イギリスのレースエンジン屋、コスワースに転職を決めてしまってました。以後、一カ月以上出社せずに遊んでから、後の三代目社長、久米さんに説得されてホンダに戻ってます。この時、川本さんがコスワースに行ってたら、80年代のF-1は結構大きく変わっていたような気もしますが…。 そして1970年、アメリカで自動車の排気ガスに関して低公害化を義務付けるマスキー法が成立します。上院議員のマスキー提出によるこの法案は1975年以降にアメリカ国内で発売される車はCO(一酸化炭素)・HC(炭化水素)を1/10まで減少させる事、NOx(窒素酸化物)も1976年以降発売の車では1/10にする事、を求めていました。 これに対し、アメリカの自動車メーカー、いわゆるビックスリーのフォード、GM、クライスラーは実現不可能な法案であると反対してもめにもめるのです。が、そのさなかにホンダが初めてその規格に合格するエンジンを開発してしまい、まさに世界を驚かせる事になります。これによってもはや実現不可能である、というビッグスリーの主張は却下され、以後、アメリカでは低公害車が標準となりました。そして当然、その流れは日本にも及ぶ事になるわけです。 CVCCエンジンに話を戻しましょう。 1966年の段階からホンダで低公害エンジンの研究が始まったのは、自動車大国アメリカで排気ガスによる公害が問題になり始めたのを知ったからでした。とりあえずノッキング防止剤のアルキル鉛が添加された有鉛ガソリンの鉛害を防ぐ無鉛化、そして排気ガスに含まれる有害物質、CO(一酸化炭素)・HC(炭化水素)・NOx(窒素酸化物)の排出を減らす、がその主目標となりました。 有鉛ガソリンはエンジンのノッキングを避けて圧縮率を上げ、その出力を稼ぐのに必要だったものですから、それが無くても十分な出力を維持する事がまず必要になりますが、そこまで難易度は高くない問題でした。 そこからさらに三つの有害物質の発生を防ぐ方法が問題になるのですが、現在主流になってる触媒による化学的な吸収は当時の技術では難しく、だったらそれらが発生しない燃焼を行うエンジンを開発する、という方向でホンダはその研究を推し進める事にするのです。 当たり前ですが有害物質は燃焼室(シリンダー)内で混合気、ガソリンと空気が混ざったものが爆発燃焼する時に発生します。理論上の最適な混合比、ガソリンの完全燃焼が行われる理想混合比は空気/ガソリン=14.7/1なんですが、現実には燃焼室内で生じる渦などによりこの混合比ではうまく着火せず、よく燃えるようにガソリンの比重をやや高くているのが普通でした(いわゆるリッチ/Rich 混合)。 当然、これは燃費が悪くなりますし、完全燃焼が行われなくなりやすく(ガソリンが燃えずに残る)、結果的に排気の中に有害物質が多く含まれるようになります。なのでまず混合気のガソリンをいかに完全燃焼させるかが問題になりました。 ところが上で見た三つの有害成分の内、CO(一酸化炭素)・HC(炭化水素)はこれで解決できるのですが、NOx(窒素酸化物)だけは燃焼温度が上がると増える、という傾向があるため、燃料が完全燃焼して温度が上がるとNOxは増えてしまうのです。つまりCO(一酸化炭素)・HC(炭化水素)を減らそうとするとNOx(窒素酸化物)が増え、その逆もまたしかり、という状況になります。 この点はさまざまな実験の結果、理想混合比からさらにガソリンを薄くした状態(いわゆるリーン/Lean 混合)にするとNOxが減る事が確認されました。となると目指す方向性は ■薄い混合気(14.7/1以下)を完全燃焼させるエンジン という事になるわけです。 やるべきことは判ったわけですが、希薄な混合気への着火は困難が伴い、通常のプラグ点火ではどうやっても無理だ、という事がやがて判明します。まともに燃えない以上、CO(一酸化炭素)・HC(炭化水素)も減りません。そこで考えられたのがより強力な着火方式、トーチ点火方式を用いる副燃焼室付エンジンでした。これはディーゼルエンジンではすでに採用されていた着火方式であり(ただし当然、プラグは無い)、ガソリンエンジンの場合を単純な図にすると以下のようになります。 左の図の通常のガソリンエンジンでは、吸気弁から入って来た混合気を圧縮した後、直接プラグの発火によって着火し爆発燃焼させます。 対して右の図の副燃焼室付エンジンではシリンダー上にある小さな副燃焼室にも少量の混合気を送り込み、ここでプラグにより着火、そこから噴き出す強烈な火炎で主燃焼室内の混合気を一気に燃やすのです。これによって薄い混合気でも完全燃焼が可能になり、問題は一気に解決に向かいました。 (厳密にはHC(炭化水素)だけはマスキー法が求めるレベルにわずかに及ばず、排気ガスの温度を上げる事で酸化させる、という技術が追加される(ホンダのWebサイトの解説による)。ただしこれには異説があって、気化器を直噴ではなくキャブレターにして副吸気(濃い混合気)と主吸気(薄い混合気)の2台に分けることで解決した、という話もあり(海老沢さんの「F1地上の夢」から。おそらく川本さんの証言)どっちが正しいのか確認がとれませんでした。両者とも採用されてる、という可能性もあり) 当時、これを用いたディーゼルエンジンはすでにホンダでも農業用の汎用エンジン(GD90 V2で479cc)として製品化されており、これがヒントになったのかもしれません。ちなみに同様の機構を持つガソリンエンジンはすでにソ連が開発を行っていたのですが(こちらは公害対策ではなく劣悪なガソリンでも確実に着火させるためのものだった)、ホンダの研究陣がこれを知ったのはCVCCの発表後だったとされます。 さらについでながら、当時のホンダはまだ駆け出しの四輪車メーカーであり、悪いことに本田宗一郎総司令官の空冷エンジンブームの真最中だったためCVCCのテストにつかえる適当なエンジン、少なくとも1500t以上で水冷のエンジンが無く、このため日産の製品を使って排ガス実験を行っていたとされます。 とりえあずこれで世界初の低公害エンジン実用化にホンダは成功、一気に世界的な自動車メーカーへの階段を駆け上る事になるのです。ただし1980年代末ころからは電子式の燃料噴射制御が採用された上に三元触媒などの技術が進み、そちらでの有害物質吸収が主になってCVCCはもう使われなくなっています。が、それでも低公害車を現実のものにしたホンダの努力は輝きを失って無いでしょう。 ちなみに近年、2016年ごろからのF1エンジンでは副燃焼室に近い空間を造って予め発火させ、その炎で主燃焼室を完全燃焼させる技術、ジェット系燃焼を採用したエンジンが主流になって来てます。これは原理の上ではCVCCに近いもので、ホンダがんばれという所ですね(ただし完全な副燃焼室を造ってしまうとレギュレーション違反なので、わずかに凹んでる空間などを設けてるらしい。詳しくは企業秘密なので不明)。 余談ですが1973年、マツダもマスキー法をクリアできるエンジン、熱反応器(サーマルリアクター)方式の開発に成功し製品化してます。これは排気を再加熱して完全燃焼させてるというものでしたが、欠点として燃費が悪化したのです。 マツダはこれでマスキー法をクリアするんですが、すでにオイルショックが到来していてガソリン価格が暴騰した結果、馬鹿みたいにガソリンを食う構造だった熱反応式ロータリーエンジンは全く売れない技術となってしまいます。 後に燃費が改良された(ほぼ50%ほど)熱交換器方式ロータリーエンジンが初代RX-7から採用されてますが、すでに時遅しではあったのです。技術的には結構すごいものなんですけども。 そういったもの以外にも、汎用エンジンとして農作業用の車両などにもホンダは貢献してますよ、という展示。 ちなみに最近は家庭菜園用の耕運機まであり、さらにカセットコンロ用のガスで動く耕運機まであると知る。……それって、非常時の発電用エンジンにつかえませんかね。ガソリンより安全ですし…と思ったら、既にありました。さすがホンダ。 といった感じで一階の展示見学は終了。向こう側はただの売店と休憩所なので、ホール横の階段を登って次の戦場である二階に向いますよ。 |