二階は四輪も二輪も市販車の展示区域なんですが、その両者の間にある階段の踊り場のような場所では、二輪の耐久レーサーの展示が。ただしこの辺りは全く知識がないので、この記事では軽く流します。
ちなみに手前に見えてるカワサキの他、ドゥカティなど、他メーカーのマシンの展示もありました。どうやって手に入れたんでしょ。
先に見た1959年のマン島TTレースへの挑戦から始まったホンダの二輪世界GPの参戦は1967年で一度終了となり、四輪のF1も1968年で撤収となってました。つまりホンダは全てのレースへの参加を中断したのです。
これはまだ会社としては小規模だったホンダにおいて優秀な技術者のほとんどをレースに持っていかれてしまったため、例の低公害エンジンや市販車の開発が進まなくなった事への危機感が原因だったとされます。
が、それらの開発にメドが立った後、1976年からホンダは再び二輪の国際レースに復帰します。ただし、今度はGPレースではなく、それに匹敵する人気を誇るようになっていた世界耐久レース選手権(Endurance
World
Championship)への参戦でした。このため、世界GPの時のような125、250、500ccといった小排気量のマシンではなく、1000tの大型バイクでの参戦となります。
写真のRCB1000は1976年の参戦初年のデビュー戦でいきなり優勝、以後8戦中7勝という記録を打ち立て、マニュファクチャラーズ&ライダーズの両チャンピオンを獲得してしまった伝説のマシン。ちなみにその後も改良されながら1978年まで投入が続き、最終的に26戦24勝というとんでもない記録を打ち立ててます(その後もホンダは1980年までチャンピオンの座を守った)。
まあすごいんですが、1000tとデカくてデブなうえに、耐久レースのため、取ってつけたような無粋なライトが二つ並ぶ、というスタイルがどうも個人的には好きではなく、よって興味もなく、よってよく知りません。よってこの話はここまで。
ちなみに個人的には最近の世界GP改めMoto
Gp
も、最大1000cc、最低が250tと馬鹿みたいなサイズになっちゃったので興味が無くなりました。もう10年以上、二輪のレースは見てません。
CB750Fレーサーのタンク、シート類を外した状態の展示。ちなみに750という名前ですがエンジンは1016t。なんでやねん。
で、よく見るとこれラジエターが無い(ゼッケンの下の小さいのはオイルクーラー)。外して展示してるのか、と思って説明を見たら、なんと空冷エンジンでした。ええええええええええええええええええええええええええええ。
1000tのレーサーマシンでそれで冷えるんだ。耐久レーサーすげえ、と驚く。ちなみに上で見たRCB1000も空冷でした。
ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ。
GPマシンなんて250tでも水冷だったのに(2ストだけど)…。耐久レーサーってのはよく判らんと思う。
ここの展示の変わり種、速度記録挑戦用の二輪車、1971年に造られたホンダ ホーク。
アメリカ ユタ州のボンネビル スピードウェイで開催された1971年ボンネビル スピードトライアル大会に参戦したマシンでCB750FOURのエンジンをベースにターボチャージャーを搭載、1基辺り140PSを叩き出し、これを二台直列に積んでいました。
464.4q/hという大会最速記録を出したらしいのですが、コースを往復しベストラップの数字を取る、というルールだったのに悪天候により復路の記録が取れず、未公認に終わったそうな。
ちなみにボンネビルスピードウェイは、例のユタ州にある塩湖の上に造られた直線コースで、さまざまな記録走行が行われた事で有名な場所です。2018年にカワサキのニンジャが市販バイクとして史上最高速、337.06q/hを記録したのもここでした。
といった感じで今回はここまで。さあ、終わらなくなってまいりましてよ…
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