■そして登り窯



この辺りで路地裏に迷いこむと、とっても楽しい。
石垣とかもありましたが、那覇が太平洋戦争でどこまで破壊されたのか、
実は意外に写真が残っておらず、よく判りません。
なのでこれが戦前からのものなのか、戦後の復興によるのか不明。
この壺屋地区一帯はそれほど戦火に巻き込まれてないようで、
戦後、那覇で最初に復興が始まり、一時は市役所が置かれた場所、との事でしたが。

余談ですが現在の那覇市はかつての数倍の規模の面積となっており、戦前の那覇とは別物です。
この辺り、第二次大戦の戦記を読んでると混乱しやすいので要注意。
現在の国場川の北岸、牧志と壺屋あたりまでが旧那覇市で、東の首里や真和志は別の市と村でした。
国場川の南岸も海岸沿いのごく一部だけが那覇市であり、残りの部分、
現在那覇空港や陸上自衛隊がある辺りは小録(オロク/ウロク)村でした。
このため1933年に海軍の飛行場として完成した時の名前は小禄飛行場で、
後に1936年に民間機の運用が始まった後、沖縄唯一の飛行場として判りやすい那覇飛行場に改名されたものです。

ちなみにアメリカ軍の砲撃、爆撃による破壊は徹底しており、
首里城辺りは写真のキャプションを見なければ城があったなんて
想像もできないほど徹底的に、ほぼ石垣まで完全破壊されています。
ついでに艦砲射撃は、軍よりも地元住民に多くの被害を出したと見られ、
(日本陸海軍ともほとんどが地下壕を持っていたので軍人は中に潜ってた)
この辺りが沖縄戦の悲惨さの一つに繋がっています。

ちなみに首里城は最終日に訪問しますが、よくあそこまで復元したと思いました。



そういった歴史を考えずにのんびり歩くには楽しい場所でした。
ああ、いい時間だ。



その先で観光地っぽい石畳み舗装の道に出る。
右手にちょっと洒落たお店があり。



そこにいた子猫。



そのお店の裏に、登り窯が保存されてました。
この一帯、壺屋地区は沖縄を代表する焼き物の街だと、ここの解説で初めて知る。
もともと、各地にあった窯を1682年にこの壺屋に集めて焼き物の街とし、
それが現代まで続いてるものなのだとか。

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