■もはや城塞である
中に入ると、なるほど、石の宮殿だ、という建物になっていました。
東西で約50m、南北で約30mあり、16世紀まで遡れる日本の石造建築としては最大規模じゃないかと思います。
既に見た丘陵部の横穴を利用した亀甲墓(カーミヌクーバカ)ではなく、平地に宮殿を模して造られた
完全に独立した構造物となっています。
家屋型の墓所であり、どうも沖縄ではこの手の屋根瓦式の屋敷を模したお墓を破風墓(はふはか)と呼ぶようで、
当然、これが島内最大規模のモノだとか。ちなみに手前から東室、中室、西室。
一番手前に見えてるのは井戸のようにも見えますが、立ち入り禁止区だったので詳細は不明。
果たして沖縄のこんな丘陵の上に井戸があるもんだろうか、と思うので、ひょっとして洗骨関係のもの?
この東室部分だけは、沖縄戦の時に完全に破壊されており、ほぼ新築でしょう。
他の部屋に比べて白っぽい石が多いのはそれが原因だと思います。
ちなみに墓所の上にはシーサーの祖先的な狛犬(獅子像)が乗っており、
これの造形がなかなかステキなんですが、LX-100の望遠能力ではちょっと撮影できず。
そこから庭部に戻る。
右奥に見えてるのが、先に見た石碑です。
そこから外に出るとこの建物が。
東の御番所(あがりのうばんじゅ)と呼ばれる建物で、
墓所の管理や葬儀や儀式に使われる備品の倉庫を兼ねていたようです。
東と並んで西もあったようですが、どちらも戦火で失われており、これまた再現建築です。
王家のものなら、これも屋根瓦の色、違う可能性が高いと思いますが…
ついでにここにも障子が使われてましたが、ホントかなあ…
少なくとも明治以降に持ち込まれたものじゃないかなあ…
といった感じで見学は終了。
あの木漏れ日の中を通過して首里城地下の駐車場に戻ります。
この後、県立博物館に居た地雷映画男を回収、
最後の目的地である旧海軍司令部壕跡に向かいます。
NEXT