■本殿周辺



あの赤い壁の向こうが宮殿部です。
宮殿の門には入り口が三つあるとペリーは述べており、おお古文書の通りだ、と思ったり。

ちなみにペリーによると中央の入り口が貴賓用なんだけど、
彼は当初、左側の入り口から入るように命じられたのだとか。
が、ペリーはこれを無視、真ん中の入り口から入ったそうな。
当然、そんな事ができるのは背後に武力があるからで、この訪問の時、彼は武装した海兵隊二個中隊、
さらに大砲二門を引っ張って登城したのでした。
武無き外交は無力なり。



この宮殿部周辺だけは有料。
820円は微妙な料金だけど、せっかく来た以上、一度は入っておかんとな、と購入。
ちなみにクレジットカードも利用可能。
この辺りは主にアメリカの軍人さん対策でしょうね。銀聯カードは使えませんでしたから。



中に入るとこんな感じ。
御庭(うなー)と呼ばれる広場を中心に正面が正殿です。
正殿は木造建築による再現ですが、周辺の建物はほぼ鉄筋コンクリート製でした。
(茶室など、一部木造もあり)

よくできてるんですが、少なくともこんな床では無かったと思います。
さらに2014年に発見された、沖縄上陸後に米軍が空中から撮影したカラーフィルムで、屋根瓦の色も
このようなオレンジではなく全て中国南部式の黒が正解と判ってますので、まあ、微妙ではあります。
おそらく北京の紫禁城をモデルに色を決めてのでしょうが、沖縄ですから、中国南部式なんですよね。
(首里城のカラー写真は日本に残って無かったのでその色は謎だったのだ)

余談ですが、今回ちょっとあれっと思ったのが城内にシーサーが全く居ない事。
まあ、座喜味城でも中城でも見かけませんでしたがあれは廃墟ですから、
ホントにここまでシーサー居ないものなの、と思わなくなくもなく…

ちなみに正殿右奥の建物、そして左右の翼というか通路のような部分も
昭和初期には既に無かった部分です。



御庭の右にある南殿からグルっと正殿まで回るのが見学コースです。
南殿の中はご覧のように鉄筋コンクリートでアルミサッシあり。
ちなみに世界遺産の対象になってるのは城跡だけで、これら一連の復元建築は別です。
それでも正直、世界有数の胡散臭い由来の世界遺産だと思いますが…
(ロンドン塔やインドの遺跡とかも保存の点ではかなり胡散臭いが少なくともゼロからの作り直しではない)
まあ、世界遺産という制度そのものが、貴殿らはアホですか、という部分有りますしね。



ただし、その奥は木造で再現された空間もあり。
でもこれ再現の参考に出来る資料あったのかなあ、という部分も…。



奥は茶室になっており、500円でお茶とお菓子が出ます。
畳、鴨居、障子、座布団と純和風ですが、ホントかなあ、と思わなく無くも無なく。


NEXT