■再び那覇へ



というわけで、那覇に到着。残波からだと高速道路が使いにくいため、
一般道の国道58号を延々と走って来たので、結局、1時間半かかってしまいました。
とりあえず初日と同じ駐車場に車を停めて、朝からやってる食堂に。

ちなみに沖縄の中心部という割に寂しいな国際通り、と思ったんですが、
実際はここは国際通りのハズレであり、その中心部はもっと西だと次の訪問時に知る事になります…。



最後の朝食はソーキそば。
ちなみに豚肉抜きだと沖縄そばというそうです。

ちなみに今回の旅行記を始めるに辺り、古い資料をいろいろ見たんですが、
日本返還直前、1970年代、昭和40年代後半の資料でも、
ソーキそばの話は全く見つからず、これ、いつごろから沖縄の名物になったんでしょうね…。
日本返還後、海洋博後の時代?

ちなみにここで食事中、次の目的地、首里城へのルートを確認してたら、
「自分は首里城、すでに四回行った」
と地雷映画男が爆弾発言を放つ。
そういった事は先に言って欲しいでヤンス、と思いつつ、じゃあ別行動にするか、となる。

よってここでお別れ、ヤツは県立博物館へ、私は首里城へ向かう事に。



とりあえず国際通りから車で15分、首里城公園地下駐車場に車を停めると、こんな案内板が。
…なにか微妙、というのが個人的な正直な感想です。



そこを抜けると守礼門でした。
かつての沖縄のシンボルで、私が子供の頃は沖縄と聞いて最初に思い浮かべるのは、
海でもリゾートでもなく、これでした。
といってもこれも復元建築なんですけどね。



その守礼門をくぐった先の広場にあるのがこの園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門です。
2000年、すなわち沖縄サミットの年に指定された例の沖縄の世界遺産、
琉球王国のグスク及び関連遺産群を構成する遺物の一つでもあります。
首里城の一部と言っていい場所ですが、首里城跡とは別の指定になってるようです。

ただしこれも沖縄戦でほぼ完全に破壊されており、残っていた石材を可能な限り使っているとはいえ、
新たに作り直されたもの、と考えるのが正しいでしょう。

これは琉球王国の王家、尚一族が信仰していた聖地に入るための門でした。
門の奥にあった肝心の聖地、御嶽(通常、一定の広さの土地の中に石組などが置かれてる)は
ほぼ失われてしまっていますが、わずかに残ったその一部に
沖縄戦の時にここに本部を置いていた(後に撤収)第32軍の司令部豪が残ってます。

御嶽はウタキと読む神聖な場所を指す琉球の言葉です。
日本でも御嶽(おんたけ)と呼ばれるのは山地が多いですが、沖縄本当でも多くが高台に存在してます。
ここ首里城も山の上ですから、この聖所を取り込んで造られたグスクが首里城という事になるでしょう。
ただしこれが首里城唯一の御嶽(ウタキ)ではなく、他にもいくつか城内に散在していました。
その中でもっとも重要だったのがこの園比屋武御嶽だ、という事になります。

ちなみに御嶽信仰は先に述べたように日本本土の山岳信仰に近く、オンタケ、御嶽とかいて
ウタキ、ですからほぼ間違いなく日本から入って来たものでしょう。
神は天から天下る、という高地信仰思想が基本にあり、そこにシャーマン、
トランス状態で神のお告げを伝える巫女が加わると来れば
仏教伝来前の日本の信仰に近いものが、そのまま残っていたのが沖縄とすら言えます。
柳田国男以下の民俗学の皆さんが沖縄に夢中になるのも判りますね。

ところが沖縄より南の八重山諸島に行くと、先にもちょっと触れたニライカナイ信仰が主となり、
御嶽信仰は影が薄くなるようです(未訪なので断言はしない)。
こちらは海の彼方にある聖地(浄土と書かれるのは仏教思想にかぶれた結果で正しくない)から
ニライカナイと呼ばれる神様が渡って来る、というものになります。
当然、先の御嶽信仰とは明確に異なる信仰です。

これはおそらく中国の道教にある蓬莱信仰、不老不死の神仙信仰の影響を受けたものでしょう。
蓬莱信仰は、東の海の彼方には蓬莱島があり、そこには不老不死の秘術が伝えられ、
不老不死の仙人達が住む、というものでした。
中国では広く信じられていた神話となっており、不老不死を望んだ皇帝が
何度も探索のための船団を送り出したりしてます。
ちなみに蓬莱は日本語でホーライ、北京語読みはポンライであり、ニライカナイに似て無くは無い音でしょう。
(ただし当時の八重山諸島に伝わったのは福建語だと思うが福建語の日本語辞書が手元に無い…)

このように城内に聖地を中に取り込んでるのが沖縄本島のお城の特徴であり、
こういった聖地を含む場所だから城もグスクと呼ばれたのだと思います。

ちなみに沖縄には先にも少し触れた先祖信仰、祖神信仰があり、これは全島でほぼ同じく信じられます。
一般に死者は33年(三十三回忌)を過ぎると神となる、とされていて、
これを信仰するものです(このため宮古島の古語ではカンタナ(神棚)は仏壇を指す)。
よって御嶽信仰、ニライカナイ信仰、そして先祖信仰の三本が沖縄の宗教の基礎となります。
(厳密にはそこに葬式から墓場までを支配する儒教の影響が入るが形骸化してる)


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