■眺めのいい城
正門を外から見る。
座喜味城やこの城の他の場所ではアーチ型の入り口があるのですが、ここはただの石垣です。
上が崩れたのかとも思いましたが、その様子はなく、あるいは木造の構造物があったのかもしれません。
裏側から見るとこんな感じ。
ちなみにペリー艦隊に加わっていた画家、ハイネ(William Heine)が残した中城城の絵があります。
上の写真よりやや右側から見た光景です、右奥に見えてるのが正門。
すでに上に何も無いのが判ります。
左手に見えてるのが南の郭に登る階段で、
その下に当時は城内に建造物もあったことも見て取れます。
この時、彼らは測量しており、その測量図を残してるはずなんですが、私は未見です。
残っているなら復元のいい資料になると思うんですけども。
ちなみにペリー本人はこの調査遠征には参加してないようで、日記には記述が見当たりません。
ただし調査班がその精巧な石垣に驚いた、という記録が残ってるそうで、南北戦争前のアメリカ人が見ても、
この石垣はちょっとスゴイものだったんでしょうね。
正門からさらに階段を登り、石垣の上に上がるのですが、
その階段もご覧のように精密な石組みで驚く。
石垣の上は南の郭と呼ばれ、グスクに取り込まれた聖域がありました。
これはそこにあった例の聖域、イベ(イビ)の跡。
ええ、となると城内に男子禁制の聖域があったのか、と驚いたんですが詳細は不明。
それじゃ戦争できないと思いますけども…
ちなみにこの南の郭のみでも三か所の祈祷所があり、さらに正門の向こう側にもあったようなので、
城の西側は聖域とされていたようです。なんで西側?というのはよく判らず。
少なくとも中国の影響を受けた風水の決定ではない気がします。
そこから南東方向を眺める。いい景色です。
ちなみにここ、嘉手納と普天間のすぐ東に位置するため、平日だとガンガンに米軍機が上空を飛んでゆきます。
訓練中の戦闘機の機動ってのを初めて見ましたが、
単に着陸ラインに乗るだけで、あんな無茶な動きをするのか、
とアメリカのパイロットが飛ばすF-15を見ていて思いました。
腕がいいのか、単にバカなのか、私には判断がつきませんが。
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