■琉球の石垣



一段目の城壁と二段目の城壁の間はこういった回廊のような部分もあり。
空堀を兼ねていた可能性もあるようですが、詳細は不明。

青空とあわせ、ああ美しいなあと思う。



いい感じですね。
ちなみにこの辺りが城の西端部で、艦砲射撃と思われる攻撃で破壊されてしまった部分です。
さらに左手の上段構造部には戦後、レーダーサイトが造られてしまってました。
それでもよく復元されており、ちょっと目には気が付かないでしょう。



この城の石積みはかなり精巧で、15世紀初頭に出来た城でこれか、と驚く。
織田信長爆誕100年前の時代にこれだけの石垣を造った沖縄すげえと思います。
当時の日本じゃせいぜい天然石をきっちり組み上げた野面積、下手すりゃ土塁でしょう。



座喜味城より100年後(1537年ごろ)に建てられた犬山城の天守閣(国宝)の石垣でもこんな感じの野面積みです。
このあと50年近くかけて日本の石垣は急速に進歩するんですが、それでも沖縄の石垣の先進性はスゴイと思います。



柔らかい石灰岩で加工がしやすい、というものあるんでしょうが、この精度。
ただし場所によってかなり積み方にばらつきがあり、建築時代が違うのか、やる気が違うのか、
はたまた現場担当者の技術力が違ったのかよく判りませんが。
写真は特によくできていた場所のもの。

ちなみに戦後の改修でキレイに積んじゃったのでは?とも思いましたが、
複数の場所で基部から似たような積み方を見たので、当時の技術と思っていいようです。



その先で上段構造部に登る。
ここもなんとも不思議な雰囲気があります。


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