■城壁の上で
こちらの上段構造城壁内部には何かの建造物の基部が残ってました。
ただし礎石(そせき)のみ。
実際の建物はこの上に礎盤(そばん)と呼ばれる柱を差し込む穴を開けた石を置き、
その上に柱を立てて構築します。
中国の唐時代に普及し、日本本土でも寺社仏閣などに多く見られる建築様式です。。
(厳密にはギリシャ式の建築の方がこの方式としては古いので、シルクロード経由で中国に入ったものかもしれない)
これ、地震の多い日本には向いてない建築法だといつも思うんですけどね…
ちなみにこれだけの大きさの礎石を置いていた、という事はかなりの規模の建物があったようで、
この辺りが護佐丸さんの家でしょうか。
この上段構造から、城壁の一部に登れます。当然、行って見ましょう。
中国系の団体さんが後から来てたのですが、記念撮影中。
ちまみに右手が下段構造、左手が上段構造部です。
右を一の廓(くるわ)、左を二の廓、と呼んでる資料もありますが、沖縄の城に
そんな呼称があったのか、私は確認が取れませんでした。
城壁の多くは後に修復されたもので強度の問題があるのか、それとも単に落ちたら危険と思われてるのか、
東側の一部しか入れませんでした。
ちなみに北側の表示はこれで…
南側の表示はこれ。
標準語と琉球語だけではなく、英語の表記も異なります。
なにか深いメッセージ……ではないよな。
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