■2018年のインド
生まれて初めてインドに行ってきました。
20世紀までのインドという国は、不思議な精神世界を持つ国、といった印象でした。
特に1960〜70年代に欧米の若者が感じた倦怠感、
文明と物質社会の行き詰まりからくる閉塞感の中でそれは最高潮に達します。
欧米とは全く異なる文明を持ち、それでいて英語も通じたインドは、
多くの若い知識人をひきつけ、一種の理想郷のようなイメージさえ持たれていた時代があります。
この時期には日本からもたらされた禅がZENの名前でアメリカでも流行った様に、
当時の欧米、とくに英語圏の若い連中は物質社会と現代文明からの逃走を望んでいたように見えます。
アメリカ人があの狂気のチベットを強く支持するのも、中国が嫌いというのと同時に、
何か精神的で神秘的な奥ゆかしさを感じたからでしょう。
私に言わせるのなら、それらは全てまがい物、メッキ品、上っ面ばかりで中は空っぽなんですけどね。
「禅」に関しては判ったような顔をして何も判ってない連中の空虚な屁理屈であり、
チベットの仏教は邪教としか言いようがない宗旨でありました。
禅宗の言う「悟り」が実在するなら、なぜ人間の精神世界は1000年以上救われて無いのか、
禅宗が日本に広まって1000年以上経っても、大した人物は禅宗に存在せず、
人間が抱える精神的問題は1000年間、ずっと同じものが繰り返されてるのはなぜか、説明がつきませぬ。
さらにチベット密教に至っては河口慧海の著作などを読む限り世界でももっとも胡散臭い宗教の一つとなっています。
それは秘密宗教、魔法仏教と言っていい密教の限界も示してるのでしょう。
禅であれ、チベット密教であれ、どれも見るべきものが無い、と私は断言できます。
ついでに言えば夏目漱石は一時、禅宗に入れ込みながらも何も得るものがなく、
やがてそこを離れて行ってしまいました。
あれだけの頭脳があれば、瞬時にその矛盾に気が付いていたはずで、
(精神の問題に解があるなら寺に籠ってないで社会に出て現実社会の中で生きて行けよ)
それでも宗教に解決を求めざるを得なかったのが明治の日本の持つ閉塞感であり、
それが70年近く遅れてやってきたのが欧米社会だったとも言えます。
では、インドはどうなのか。
中国仏教である禅宗も、チベット密教も(そして日本の密教も)すべてインド由来です。
そしてインドではとっくの昔に死に絶えた、といっていいものです。
ちなみにどちらも仏教を名乗ってますが、本来、仏陀は無関係で、
彼の死後、はるかに時代が下ってからインドの土着宗教から生まれたものでした。
それら東アジアの神秘主義と魔法宗教の故郷であるインド自身はどんな場所なのか。
それが私の興味の一つでした。
結論から言ってしまえば、私が今回訪問した地域、デリー地区は神秘性のカケラもなく、
そこは唯物論的な、純粋な物質文明だけが元気な世界でした。
後は中国の道教、タイの仏教のような大衆のお守り宗教としてのヒンズー教があるのみです。
実質わずか3日の現地滞在では得るものは限られますが、
それでも見回す限り健全な物質文明の都市であり、それ以上のモノは何もなかったです。
現代インドは神秘的な多神教、現世利益を徹底的に追及するヒンズー教の地域ですが、
実は政治的には長らくイスラム国家でした。
支配階級以外、大衆の間ではヒンズーが主流ではあったのですが、
それでもパキスタンとバングラデシュ(旧東パキスタン)をイスラム国家として分離しただけで、
ヒンズー教を主とする国家となったのはむしろ不思議な感じさえします。
特に北部は12世紀以降、20世紀に至るまで、国家支配層はイスラム教徒であり続けました。
デカン高原より南部はもう少しヒンズー色が強いのですが、
それでもほぼ全土がイスラム教徒に支配された歴史をもち、これはイギリスに支配されるまで、
ほぼ変わらないままでした。
なので、インドの神秘主義は12世紀以降の段階、日本で言えば鎌倉時代以降には
とっくに衰退期に入っていたのです。
そこで何か聖者の神秘のようなものを求めるのは無理があるでしょう。
特に今回訪問したデリー周辺はイスラム色が強い地域で在り、
インドの神秘性など全く感じられない地域だったといえます。
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