■歴史と言語

インドは複雑怪奇な歴史と宗教とさらに言語体系を持つ地区です。
それでも極めて大雑把に言ってしまえば、紀元前1000年くらいまでのアーリア人の南下に始まり
それが引き起こすカースト制と原始的ヒンズー教の成立、
後は16世紀に北部インドから始まるから始まるイスラム教国、中でもムガール帝国の支配、
その直後から徐々に拡大するイギリスの植民地化と
19世紀半ば(日本の幕末である)に完成するその支配、
これらだけを覚えて置けばほぼ問題ありませぬ。

日本では江戸期が後の日本文化の基本となった様に
(戦国期以前の支配者層と農民層の思想、行動、そして文化は
江戸から昭和に至る日本とは全く別物と思っていい)
インド、特に今回私が訪問した北部においては、
ムガール時代が強い影響を未だに残しています。
中国における清に近い存在、と思っておけばほぼ間違いないでしょう。



現在、インド北部で見られる世界遺産、その巨大な建築の多くはインドのイスラム時代、
ムガール帝国時代のものがほとんどです。
個人的にタージマハルくらいは知っていたのですが、写真のような巨大城塞が複数あり、
数学の本場に乗り込んで来たイスラム建築はすげえな、と思わざるを得ませんでした。
この辺り、日本で得られる情報は極めて限られたため、現地で何度も驚愕することになります。
なるほど、これではイギリスも完全植民地化に19世紀までかかるわ、という感じです。

余談ですがインドはタイ、カンボジア周辺と並んで、
13世紀のモンゴル帝国の嵐のような侵略を受けなかった地域の一つとなっています。
東は日本から西はハンガリーまで、ユーラシア大陸周辺の主要文明の中で、
最大の面積を持って、その災厄を受けずに済んだ地域なのです。
これをインド人はオレッちのご先祖強かったからな、と言ってますが、
単にさすがのモンゴル軍団もヒマラヤを超えるのが大変だったからでしょう(笑)。
(全く侵入しなかったわけではなく、ヒマラヤを西に迂回して北部には侵攻、、
一時はデリーを包囲までしたのだが自ら撤退してしまった。理由は不明)

このため、モンゴル軍団がユーラシア大陸に広めた文化が入って来ず、
例えば日本から中国、ペルシャ地区、そしてロシアにまで存在する十二支、エトがありません。
(ただし中国の影響を強く受けた北部の一部にはあるらしいが、未確認)

ちなみにインド亜大陸に完全な統一国家が存在したことは一度もありませぬ。
例外は18世紀初頭のムガール帝国ですが、それでも半島南端部はその勢力圏外でしたし、
さらにその最大領土の時代は速攻で終わってしまってます。
それでも現在われわれがインド、と聞いて思い浮かべる地区は
ほぼこの時の最大勢力圏と重なるのですけども。
(ただし西のパキスタン、東のバングラディッシュを含む)

さらに後のイギリスによる植民地支配では
一部の地方独立国は王侯国(Princely state/Native state)として
現存させたまま間接支配の形を取りましたから(一種の封建制に近い)
これもまた完全なインド全土の統一支配とは言い難いものがあります。
(ちなみに地方の王侯国は大戦後のインド独立直前までほぼ生き残り、
独立後は大地主となった者が多い。これが現インドにおける殿様階級、
いわゆるマハラジャとなる。本来は偉大なる王、といった意味なのだが)
それでも現在のインドの国境ラインの基本を決めたのはイギリスで、
さらにイギリスの都合でイスラム教徒を東西の別国家に押し込んでしまったのが、
現在のあの一帯の混乱の最大要因となってます。
(これが東西パキスタンであり、東パキスタンは後にバングラディッシュとなる)
この辺りはイスラエルを含んだ中近東の情勢と全く同じであり、イギリスは航空博物館と
科学博物館だけ残して後はみんな沈んじゃえばいいのに、と時々思いますね。

このため、インドは統一言語すら存在したことが無い、というスゴイ国家です。
これは今でもその状態が続いてる、と考えていいでしょう。
1947年の独立後は北部インドの標準語だったヒンディー語を公用語としましたが、
そんな言語、一言も読めないし話せないという南部のドラヴィダ語系の地方で
死者が出るほどの暴動が発生してしまいます。
(ちなみにドラヴィダ語ではなく語族であり、さらなる分化がある)
このため1963年からは英語も第二公用語とされています。

…が、今回訪問した限りでは英語が離せる人はごく一部であり、
仕事などの必要に迫られてそうしてる、という皆さんだけでした。
しかも私のような人間から見ても間違っても流ちょうとは言い難い英語なのです。
この辺りは中国返還後の香港以下ではないか、という感じで、
下手すると日本の東京と変わらん気がします。
でもって、南部では未だにヒンディー語は通用しないはずですから、
どうやって国民同士で意思疎通をしてるのだ、という疑問が出てくるわけですが、
この謎は帰国後、未だに解消してません(笑)。

いろいろ調べて見ても、英語が第二公用語、としか出て無く、
いや、それは建前で、現実には話せねえじゃないか、というツッコミは無いのです。
英語を話せるような連中以外、自分の出身地の外には出ない、という事なんでしょうかね。



私がこれまで旅行して来たのは、東アジアと英語が通じる欧米圏、
すなわちアングロサクソン文化圏だけであり、
そういった意味では生まれて初めての異文化圏がこのインドでした。
まあ、それでも英語は通じるし何とかなるだろう、と思ってたら大間違いだったわけです。

今回の旅行、現地で駐在員として4年以上過ごしている
kobikkyさんに声を掛けていただいて実現したものなんですが、
実は訪問前の段階で英語は通じないと思ったほう良い、という忠告は受けてました。
しかし私は、いや、第二国語でしょ、またまたkobikkyさんたら、
人を脅かそうとして、フフフ、おちゃめさんだなあ…くらいに考えていたのです。

どころがドンスコイ・ドミトリースキー、ホントに街中ではほとんど英語が通じないのでした。
人の忠告は謙虚に聞かんといかんな、と改めて思いました(笑)。
とりあえず、えええええ、という感じで、日本でよく見るインドは英語圏であるのが強みだって話、
ありゃなんだったんだよ、という感じでございました。

とにかく写真のような地元の人間しか来ないような地域だと、
10人中8人は英語は話せない感じです。
お店の看板が英語でも、ダメでした。
困るのはデリー市街部の街中にはスーパーもコンビニも無く、
小さな個人商店ばかりであり、商品の値段何てどこにも書いて無いのです。
すなわち、定価なんてものはない、全ては交渉次第です。
(ただし郊外に行くとスーパーはあるらしいが、一般層向けではなく
やや裕福、あるいは外国人駐在員向けの店らしい)

衣料品とか、家具とか、そういうものの値段が交渉しだい、
というのはアジアでいくらでも見てますが、日常的な食料品、
ジュース類までそうなのだ、という国はさすがに生まれて初めてでした。
屋台などにも一切、値段の表示はありませぬ。

当然、自動販売機何て街中に一台もありゃしない。よってジュース一本買うのも一苦労です。
ちなみに外国人と見ると吹っ掛けて来る、というのは観光地であり、
この辺りでは“地元の人と同じくらい”しか吹っ掛けて来ないようです(笑)。
なので外国人だろうが地元の人間だろうが、ボッタクラレる時は意外に平等です。
この点、観光施設などの入場料の方がよほど悪質で、
外国人は入場料が10倍近い、なんてのが普通にありました…。

まあ、とにかく値段は吹っ掛けて来ますから、言葉ができないと、
何一つ、安心して買うことができませぬ。
とりあえずジュース類が基本は500mlボトルで30〜40ルピー前後だ、と判ったのは旅行最終日であり、
当初は値段など全く判らず、いかにも相手の言ってることが判ってるふりをして、
そこそこの額面である100ルピー札を渡し黙ってお釣りを受け取る、というやり方で乗り切ってました。
それでもジュース1本に50ルピー取られたのが最大だったので、意外にみんないい人だったのか?
ちなみに1ルピーは2018年3月現在約1.6円なので、500mlペットボトルで約70〜80円。
私が今まで訪問して来た国の中では物価の安い方となりますが、
外国人からボッタくるぞ、と創業理念にある店はきっちりボッタくって来ます(笑)し、
先に書いたように定価なんてないので、この数字も確実とは言えません。

困るのは飲食で、“普通の”日本人が安心して食べれるような店は街中にはまず無く、
ある程度の高級な地域で、日本と同じくらいの値段で食事するほかありませぬ。
あとは一定レベル以上のホテルに宿を取って、そこの食事サービスを使う、ですね。
ここら辺りはあきらめて大金払うか、私のように地元の店に突撃するかの二択を迫られます。
とりあえず後者に関してはキチンと火を通したものならお腹は壊さない、
と自らの体を張った人体実験で確認しましたが、
天地がひっくり返っても衛生的とは言い難い店ばかりなので、人を選ぶと思われます。
少なくとも、香港、バンコク、上海、台北、ソウルの屋台などよりさらにひどいので、
あの辺りですら迷うような人には向きません…

この点、まだまだ貧しい国ですが、タイでもあれだけコンビニの需要があったのですから、
デリー周辺、コンビニ業界の一大フロンティアじゃないの、と個人的には思うのですが、どうでしょう?

ついでに英語が通じないのに驚いて、帰国後確認してさらに驚いたのがヒンディー語でした。
インド・ヨーロッパ語族という文法による言語分類があります。
なので私はインドの公用語、ヒンディーも英語、中国語と同じ、主語+動詞+目的語、
すなわちI love you であり、我愛你という言語体系だと思っておりました。
ところが調べてみると、ヒンディー語は日本語と同じ、主語+目的語+動詞なのです。
すなわち、私は+あなたを+愛する、の語順であり、私は+愛する+あなたを、では無いのです。
さらにに主語を省くことも多く、あなたを愛してます、という日本語なら、
そのまま単語だけ置き換えれば、ある程度のヒンディー会話が成立するようです。
(と言っても、私には無理だが)

このあたりも、ええええええええええええええええ、という感じで、
どうも私は驚くほどインドを知らなすぎるな、と思うのと同時に、
日本で得られるインド情報がいかに少なく、アテにならないかを痛感しました。

これ、日本語の(同時にハングルもだが)大きな利点であり、
インドの人たちに日本語を習ってもらうのも、逆に日本人がヒンディー語を習うのも、
英語に比べれはチョロイはずです。
(両者とも独自の文字を使うのでそこが難点だが)

ついでに、日本人が英語を話せない、というのは当たり前で、
文法が根本から違うんだから、単語を覚えて並べるだけ、という必殺技が使えないのです。
Be動詞という概念もありませんから、これをキチンと理解するのは楽ではありません。
そして主語と動詞は常にセットで存在する、「天気がいいね」といった日本語では主語の無い会話でも、
Be動詞を使って、It is という主語+動詞から始まるのだ、
といった辺りまで理解するのは、感覚だけでは無理でしょう。

中国人などに比べてもこれは不利で
(中国語の場合文法も似ているうえに「是」というBe動詞に近いものがある)
ましてや英語の兄弟言語であるドイツ語、それよりは異なるけど、文法は似てるラテン語系の言語など、
単語さえ覚えりゃ、後は自分の言語の文法に沿って並べるだけでなんとかなる、
といった連中とは英語の取得難易度がケタ違いなのです。
そこら辺りを無視して、日本人は英語が苦手だから、日常の会話文を丸ごと覚えろとか
やったところで、よほど言語センスのいい人間でなければ覚えられるはずがありませぬ。
成人して日本語が骨身にしみてしまった日本人が英語を理解するには、
全く発想が異なる言語概念の理解から始めるしか無いのです。
かといって学校で教える文法もまた、ほとんど役に立ちませんけども。
日本語と英語の構成の違いを、最初に徹底的に理解する必要があるのです。

これはキチンとした文法から理解しないと打つ手はない、という事であり、
それは正直、楽な事ではありません。
この点、ヒンディーも同じハンディを背負ってるわけで、なるほど、
皆、英語が話せないわけだ、と思ったのでした。


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