■新旧デリーとアーグラと
さて、ではインド二日目の記事を始める前に、少しだけ今回の訪問地、
インド北西部に位置するデリー、そしてアーグラについて説明して置きまする。
言うまでもなく現在のインドの首都がデリーです。
ここは12世紀中ころにヒンズー教徒王朝であるチャーハマーナ(Chahamana)朝が首都にして以後、
北インドの中心となって来た都市です。
ただし、チャーハマーナの後は北西のパキスタン、アフタニスタンから
絶えずイスラム教徒の侵入を受け、その支配の中心地でもあったため、
インドのイスラム文化の中心的な街にもなってしまいます。
この点は19世紀半ばにイギリスの植民地支配が完成するまで変わりませんでした。
そしてこの地に首都を置いたイスラム王朝で最も有力だったのがムガール帝国であり、
基本的に1526年から1857年のイギリスの植民地化完成まで、
デリーはムガール帝国の中心で在りつづけました。
もっとも最後の100年間は、インド中部から進出して来たヒンズー王朝、マラータ朝を中心とする
マラータ同盟に一方的に押されまくり、ムガールもデリーとアーグラ周辺に
かろうじて領土を持つだけの地方国家に成り下がっていたので、
その首都と言ってもそれほどの街ではなかったようです。
(ただしマラータもインド中部を支配しただけで、全土に広がる事はできなかった)
ついでにムガール王朝は常にデリーを首都にしていたわけではなく、
同じヤムナー川沿いにあるアーグラにも首都を置いていた時期があります。
両者を行き来していた時期もあるため、150q以上離れたこ両都市には
どちらにも似たような造りの宮殿要塞、そして墓所が存在してるのです。
ついでにムガール帝国の基礎を築いたアクバル皇帝が築いた第三の首都、
フェーテープー・シークリー(Fatehpur
Sikri)という街もアグラの西にあるんですが、
ここは15年足らずで廃都となったので、とりあえず考えなくていいでしょう。
今回は、このムガールの二大中心地、現在も首都であるデリー、
そしてインドの古都ともいえる(そんな風情は微塵も無いが)アーグラを訪問しています。
ただしイギリスによる植民地化が完成した19世紀半ば、セポイの乱が掃討された1857年以降は、
インドの中心都市はイギリスのインド総督府があった東の街、コルカタとなってました。
ちなみに今の地図で見るとインドの東のはずれと言っていいコルカタですが、
当時はバングラディシュはもちろん、その隣のミャンマーまでイギリス領ですから、
現在の地図で見るほど東の外れ、という立地では無かったのに注意して下さい。
まあ、それでも東寄りではあり、それが1911年の遷都の理由になるんですが。
その後、1877年にはヴィクトリア女王がインド皇帝を宣言し(インドの完全支配)、
カルカッタはますますインドの中心部となってゆきます。
が、国境北西部に対するオスマントルコ、ロシアの活動に対応するため
その首都はもっと西に移される事が決定されます。
このため歴史ある古都であり一定の都市基盤があったデリーへの遷都が1911年になって行われるのです。
この時、デリーの旧市街とは別に
その南にイギリス人が築いたのがいわゆるニューデリー地区となります。
この辺りを確認するとこんな感じですね。
現在、この一帯はどこの地方自治地体にも属さない政府直轄の地区となっています。
(アメリカのワシントンDCに似てる)
これがデリー政府直轄区で、ここがインドの首都です。
その中に、さらにオールドデリーとニューデリーがあるのですが、
これは東京都の千代田区、大阪市の中央区のような区分にあたります。
なのでインドの首都をニューデリーとするのは、日本の首都を千代田区とするようなもので、
普通に考えるとデリーが首都、というのが正しいように思われます。
デリーもニューデリーも、どちらもヤムナー川沿いにある地区なんですが、
北にあるのが旧市街オールドデリー地区であり、
その南(わずかに南西)約5qにあるのがニューデリー地区となります。
この両地区の対比は同じ行政区内の街とは思えないほど懸絶しており、
インドの貧富の差の象徴と言えるかもしれません。
ムガール時代の王宮であり城塞でもある(ある意味で江戸城に似た存在だ)
レッドフォートから西に広がる旧市街、
オールドデリーはインドと聞いて誰も想像するような喧騒とすさまじい人口密度の一帯でした。
私が今まで見てきた中でも最強の敵といっていい地区です(笑)。
対してその南に広がるイギリスが新たに開発した
ニューデリー地区はインド門から西に広がる行政地区を中心に、広い道路、多くの緑地、
そして高級なお店の数々と、わずか5q南に移動しただけとは思えない、
という位の強烈な対比を見せています。
この辺りの印象は別の国じゃないのこれ、という位に違います。
ニューデリーはオールドデリーの喧騒と混乱とは全く無縁と言っていい地区です。
もっとも大統領官邸の横で野生の猿がエサ漁ってたりしますけどね(笑)。
ちなみにインド門から大統領官邸に繋がる一帯は帯状の緑地帯で
その横に国立図書館や大統領官邸などがある、というワシントンDCそっくりの構造になってます。
設計者は別で、しかもほぼ同時期の設計なのでどっちかがパクった、というより
当時はこういった構造が流行ってたんでしょうか。
東京だと上野公園周辺がワシントンDCの構造をパクッテるんですけどね。
といった感じでデリー周辺の基礎知識編は終わりです。
さっそく本編に行って見ましょう。
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