■凱旋門ではない
さて、そこから南下する途中、もう一か所、インド門(Indian
gate)に寄っていただきました。
イギリスが造った人工都市地区、ニューデリーのど真ん中、行政府機関が集中する一帯の入り口にあるのがこれ。
ここから真西に向かって真っすぐ3qほど、帯状の緑地帯が大統領官邸まで続きます。
先にも書いたようにこの構造はワシントンDCのモール地区にそっくりで、東西が逆ながら
リンカーンメモリアルにあたるのがこのインド門、国会議事堂にあたるのがインド大統領官邸と思っておけばほぼ間違いないです。
ここは観光地らしい観光地なので、日曜日という事もあってか人で溢れてます。
周囲は公園になっており、なんかイベントをやってたようで大音響でインド音楽が流れておりました。
インド門はニューデリーの都市計画で多くの建物を設計したラッチェンス(Lutyens)の設計で、
1921年の2月に完成しています。
見ての通り、ヨーロッパ式の凱旋門ですが通常の凱旋門のような戦勝記念のものではなく、
慰霊碑、英語で言うMemorial に近いものです。
…なんで慰霊のためのMemorial
を凱旋門式建築物にしちゃったの、
イギリス人バカなの、という感じですが、まあ、バカなんでしょう、実際。
完成当時の写真を見ると、何も無い原野の中にこれが忽然と建っており、
極めてシュールな光景となっていました。
これは1914年に始まった第一次世界大戦でインドから徴用され、戦死した7万人近いインド兵、
さらにはアフガニスタンの独立戦争の一環だった、1919年の第三次イギリス アフガニスタン戦争に
駆り出されて戦死したインド兵たちへの慰霊碑(Memorial)として建てられたものでした。
どちらの戦争もインドには何の責任もないもので、イギリスの都合で連れ去られ、
戦死することになった人々への記念碑なんですが、それを戦勝記念形式の凱旋門にしてしまう辺り、
どうもこの時代のイギリスはやはり頭が少しおかしいのでしょう。
ちなみに第一次世界大戦への徴兵は、引き換えにインド独立、少なくともカナダなどと同じレベルの
自治権を戦後に与える、という条件で行われたものでしたが、後に全て反故にされ、
イギリスの圧政は続くことになります。
その一翼を担ったのが、あのチャーチルなんですが、ここでは脱線しないで置きましょう。
しかしこれを独立後も大事に残してるあたり、インド人も人が良いというか、ノンキというか。
韓国や中国だったら、日帝時代の残滓であると速攻で破壊されてそうな建物なんですが(笑)。
さらに余談ですが、一番上にINDIAの文字があり、その下には第一次大戦の使者を悼む、
といった文章が英語で書かれています。数字だけはなぜかラテン語で、ここら辺りも頭悪そうだなあ、と思います(笑)。
で、よく見るとその下に白い、新しい石の部分があります。
実はあの部分にアフガニスタン独立戦争の戦死者に関する記述があったのですが、
これを上から隠すように置かれてるのが、あの新しい石の部分となっています。
公開された極秘文章の一部が黒線で消されてる部分みたいな感じとなってるのです。
なんでそんな事をしてるのかは全くの謎。
なので第一次世界大戦の戦死者の慰霊碑と紹介されてる事が多いのですが、
本来はアフガニスタン独立戦争の死者もその対象でした。
日本じゃほとんど知られてませんけどね。
なにか政治的な配慮なのかなあ…。
慰霊碑らしい灯火が門の下にあります。
すなわちこの門、くぐれません。
右に見えてるのは衛兵さん。
ちなみに門の壁には戦死者の名前が刻まれてるんですが、どう見ても7万人分はなく、
帰国後に確認してみたら、13300人しかないそうな。
残りはどうなってしまったのか、名前も確認しないまま徴用してたのか、なんとも微妙な感じです。
ついでに明らかにイギリス人だろう、という名前もいくつかあり。
なんだかなあ…
さて、インド門も撤収、ホテルに向かいますが途中で見かけた彫像。
ワシントンDCほどではないですが、ニューデリー地区も彫像の多い土地でした。
これはマハトマ・ガンジーの塩の行進、1930年にイギリスの支配に抗議、
その財源になっていた塩の専売を無効にするため、
製塩を目的に海に向かった行進を記念したもの。
(その前年1929年にインド独立の原動力となった国民会議派党が
マハトマの方のガンジーやネルーによって結成されていた)
ただし別に本気で国民会議派党が製塩業に乗り出そうとしたわけでなく、
あくまで政治的なデモンストレーションでした。
ちなみにこの銅像の中に、後にインドの財閥の始祖となった人がちゃっかり入ってるそうで、
それが政治的な配慮なのか、スポンサーなのか、たまたまなのかはよく判りませぬ。
日没後、ホテルに到着。
路地裏のちょっと判りにくい所なんですが、運転手さんが道を聞いてくれて無事到着。
この運転手さんはインド人とは思えない(笑)気配りの人で、
私が写真を撮ってるとスピードを落としてくれたり、途中で珍しいものがあると
わざわざ本来の道を外れて遠回りしてくれたりと、ホントにお世話になりました。感謝。
ちなみにホテルの受付で百科事典のような分厚い宿泊簿が引っ張り出され、
署名の上でさらに国籍を記入、そしてどこから来たか、次にどこに行くのか、など細かく記入するハメに。
21世紀の空港近所の国際ホテルでそんなものがあるとは思いませんでした…
これもインド以外では見た事ないものですね。
ちなみに早朝や夜にホテルのロビーをうろうろしてると、何をしてるのか、
誰かが来るのか、などいろいろ聞かれ、なんだか中国以上に
外国人に対する警戒が強い国だなあ、と思いました。
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