■屋外の混沌

では今回はインド空軍博物館の屋外展示&その他の展示を見て行きます。
屋外展示は広いとこと狭いとこの2か所に別れてるんですが、まずは広い展示の方から。



ソ連のマッハ3(ただし実用限界はマッハ2.8前後)戦闘機ミグ25R。
「R」の名から判るように偵察型、しかもわずか8機のみの配備で、
1981年から2006年までの運用で終わってます。
ちなみに2006年で引退したのは修理用の予備部品がもはや手に入らなくなってしまったから、
という何だかちょっと悲しい理由だとされます。

インド空軍に配備当時はその存在も極秘で、
「音速超えて衝撃波をまき散らしながらウチの国の上空飛ぶな」
と何度もパキスタンから抗議を受けながらも、
「そんな機体ウチにはなインド」
とすっとぼけ続けていたそうな(一部意訳)。

パキスタン空軍には速度でも、高度でもこの機体に追いつけるものがなく、
地対空ミサイルすら振り切ってしまうため、やりたい放題だったようです(笑)。
音速突破しながら、すなわち超音速衝撃波をまき散らしながらパキスタン本土への
強行偵察をやっていた他、1999年におきたパキスタンとのカシミール紛争では
現地偵察の実戦任務に投入されたとされています。
アメリカにおけるSR-71ブラックバードのような運用ですね。

本来、ミグ25はアメリカ軍がソ連まで飛ばそうとしていた
超音速戦略核爆撃機を迎撃するための機体でした。
このため超高速(実用でマッハ2.8。最大でマッハ3.2だがエンジンが痛むので通常は禁止)
超高高度(高度2万メートルで空戦可能)の飛行に特化していました。
戦闘機としては未だに世界最高速機でしょう。

巨大な主翼で知られる機体で、アメリカ軍はこれを当初、機動性重視の
格闘戦のためのモノと勘違いし、F-15の仮想敵としたのですが、
実は重すぎる機体を空気の薄い高高度で飛ばすためのものでした。
この辺りの事情は1976年の有名なミグ25の初来日ツアー、
ベレンコ大尉の亡命事件で明らかになったようです。

ただしこっちはこっちで仮想敵としていたアメリカのマッハ3爆撃機XB-70は実用化されず、
その次に憎たらしい相手となっていたSR-71もこの機体が配備される頃には、
もうソ連本土に領空侵犯してまでの偵察はほとんどやってませんでした。
このためこういった偵察型などに転用された機体もあったわけです。

マッハ3近い速度で発生する高熱の衝撃波背後熱対策のため、
ステンレスを一部に用いてる事もあり、とにかくデカくて重い機体でもあります。
(ジュラルミンは100度前後の温度にさらされるだけで強度が急激に落ちるので使えない)
後輪はバカみたいにデカい接地圧の低いもの、前輪もダブルで接地圧を下げており、
どんだけ重いんだこの機体、という感じですね。
まあ、接地圧を下げる車輪は整備の悪い基地で運用した時、
滑走路を破壊しないように、というソ連ならではの配慮の可能性もありますが。
(当然、滑走路を破壊するような滑走をやった機体もただでは済まないし)

ちなみに1100機以上と、意外に大量生産されてるのですが、
ソ連本国以外だとイラク、そしてリビア、シリアと
中近東だけに配備されていた機体ですから、実機は初めて見ました。
実はアメリカ空軍博物館も1機持ってるんですが、昨年の訪問時にはまだレストア中でしたし…

操縦席はまさに二階席という感じの高さ、さらに機体の割には極めて小さく
なんとも変な印象のある機体ではあります。
予想以上にデカいな、というのが第一印象ですね。



日本人でまともにこれを見た人は50人と居ないのではないかと思う
ミグ25Rの写真撮影窓部分。
機首下で赤いフタがされてるのがカメラ窓で、確認できる限りでは5つあります。
全部に別々のカメラを積んでいたのか、他の運用法があったのか、よく判りませんが。

一番手前にある細長いフタはELINT任務用、すなわち電子偵察任務のための装置、
敵の無線&レーダー電波を拾って周波数を解析する機材が入っていた場所のはず。
ちなみに最初の写真で機首横に見える黒い部分は、
この装置で受信する電波の透過をよくするためのプラスチック系素材だと思われます。

機首部にこれだけいろいろ積んでしまってる以上、
火器管制装置(FCS)を積む余裕は無かったはずで、
おそらく偵察用ミグ25は自衛用の武器すら積めなかったんじゃないでしょうか。
機首先端のレドームはあるのですが、本当にレーダー積んでいたかも不明。
英語圏の資料だと昼間偵察機とされる事があり、
どうもレーダーも降ろしてしまっていて、夜間飛行できなかった可能性もあり。



フェアチャイルドC-119フライング ボックスカー。

昨年、アメリカ空軍博物館でも見た双胴式、ツインテールの輸送機です。
朝鮮戦争時代の機体で、その後はカリオストロ公国にICPOの部隊を降下させたりしてますが、
インドで使われていたとは知りませんでした。
インドにアメリカ機もあったのか、という感じですが、実は輸送機は
結構アメリカ製のが使われているようです。
今でもC-130飛ばしてますしね、インド空軍。

1953年ごろから80機前後を導入したらしいので、中古とかではなく新品での導入で、
どうもこの時期は、一時的に(笑)アメリカと仲がよかったらしく、
アメリカの援助プログラムの一環として導入したようです。
有償か無償かは判りませぬが。

ついでに屋根の上にも注目。
変な筒が付いてますが、あれはウェスチンハウス製のジェットエンジンが入ったもので、
この機体が民間に払い下げになった時、その機体向けに売り出された改造キットです。
離陸時にこれを使って滑走距離を縮めるんですが、
なぜかインド空軍がこれを購入、時期は不明ながら25機前後に取り付けて運用したようです。



これもアメリカ機、世界中でおなじみC-47輸送機。
解説板は無かったのですが、多くの資料でダコタと書かれている事、
独立前の1946年から運用してる事などから、おそらくイギリス空軍が使用していたものを、
独立後もそのまま引き取ったのだと思われます。

言わずと知れた戦前の傑作旅客機ダグラスDC-3の軍用版ですが、
インドでは1987年まで40年以上現役だったそうな。



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