■いろんな無人機たち



さて、ここからは無人機を少し見て行きましょう。
ちなみにぶら下げ展示では他にもいくつかの機体があったんですが、撮影忘れ&正直どうでもいい、
というモノがいくつかあり、全てを掲載してるわけでは無いのをご了承あれ。

まずはビーチエアクラフト MQM-107 ストリーカー。
対空監視要員向け戦闘訓練用無人機で、腹の下の小型ターボジェットで2時間以上飛行できたとされます。
基本的にはあらかじめプログラムされた通りに飛ぶのですが、リモコンで飛ばす事も可能だそうな。

熱源及び反射装置の変更で様々なタイプの機体の赤外線、そしてレーダー反応をまねることができ、
これによって早期警戒機やレーダー基地の監視員などの訓練に使われたようです。
ちなみにチャフやフレアも撒けるそうなので、戦闘機のパイロットなどの訓練にも使われた可能性があります。

…要するに実験機でも何でもないんですが、まあこういった機体もあるんだよ、という事で紹介して置きます(笑)。



NASAとボーイングの共同開発機、X-36。
1997年5月に初飛行した機体ですが、この時期になるともう予算が全然なくて、
X番代機も無人機になってしまってます…。
本来なら有人機でキチンと試験したかったようで、NASAのこの機体に関する報告書はその点の恨み節で満ちています(笑)。
ちなみに実機が無いので縮尺というのは変なのですが、とりあえず1/4サイズで制作、となってます。
……いや、それって実機でも結構小さいような…

展示では開発はボーイングとなってますが、実際はまだ吸収される前のマクダネルダグラス社によります。
で、この手の機体ですから、これも例の秘密機開発チーム “ファントムワークス”によるものですね。
(マクダネルダグラス消失まで3カ月の初飛行で、おそらく同社の名の下に飛んだ最後の機体)
ステルス向けの垂直尾翼無しの無尾翼実験機であり、
垂直尾翼無しでどこまでの運動性を確保できるか、という点を研究する機体でした。
これは物理的な特性の確認と同時に、フライバイワイア用のプログラム開発も大きな目的の一つで、
このため、小型で無人で飛ばせる機体の方が都合がいい部分もあったようです。

コクピット(?)部や機体各所に似顔絵やサインがあるのですが、これは無線操縦パイロットや
開発関係者によるもので、コクピットの似顔絵はどうも実験飛行中から描かれていたみたいですね(笑)。




ボーイングX-45A J-UCAS。

J-UCASはJoint Unmanned Combat Air Systems 、統合無人航空戦闘システムの略で、
その名の通り、海軍と空軍の共同開発となる機体です。
この計画で造られた機体として、もう一つノースロップ・グラマンのX-47がありましたが、
こちら主に海軍が試験したので、ここに展示は無し。

2002年5月に初飛行した無人攻撃用の実験機で、これまたボーイングになってますが
開発は元マクダネルダグラスの“ファントムワークス”です。
ちなみに朝鮮戦争の横にある無人機展示のとこで見た不思議な機体、
バード オブ プレイの実験データが活用されてる、との事ですが、詳細は不明。
空気取り入れ口を地上からのレーダー反射を返しにくい機体上に置いてる構造とかですかね。

X-45Aは2機造られてるんですが、展示のものが1号機なのか2号機なのかは判らず。
とりあえずX-45Aは青い塗装のやつがスミソニアンの航空宇宙本館にありましたから、
2機とも現存している、という事になります。

21世紀の無人機という事で、2機を同時に一人のパイロットで無線操縦して対地攻撃をしたり、
完全な自律操縦プログラムで、不意に遭遇した地対空ミサイル(SAM)を自分の判断で攻撃したりと、
いろいろ新しい成果を残してる機体だとの事。
まあ、それでも例によって予算不足で計画は実験段階で打ち切られてしまってるんですが。



空飛ぶマンボウのような機体、ロッキードマーティン RQ-3ダークスター。

無人の高高度偵察機ですが、さらにステルス性も高かったようです。
基本的には自律型の無人偵察機なのですが、必要があれば瞬時に無線操縦に切り替える事もできたとか。
当然、それは衛星によってデータリンクされてる事を意味しますから、
映像や様々な情報を瞬時に基地に送る、リアルタイム偵察が可能となっています。
と言っても、機体から電波を出せばステルス性は失われてしまいますから、
利用するかどうかは難しい所だと思いますけども。

1996年3月に初飛行してるのですが、この無理な形状から速攻で墜落事故を起こしてしまいました。
それでもその後、3機の機体が造られて実験は継続されたようです。
最終的に1999年で実験終了、正式採用はされて無いのですが、
一部のアメリカのマスコミでは2003年のイラク侵攻で実戦投入された、と報じらてます。
ただしこの点はアメリカ空軍は認めてないようで、詳細は不明です。

ちなみにこれもスミソニアンにあったほか、もう一機がシアトルのMuseum of Flightに展示されてるようなので、
最初の事故損失を別にすれば、全機現存するようです。



ボーイング YQM-94A コンパスコープ B。

1973年6月に初飛行した無人機の先駆け的な機体。
高高度を長距離飛行する無人実験機で、写真偵察、電子情報収集用に計画されたものでした。
テレビカメラなども搭載され、それを見ながら地上から無線操縦するのですが、
この時代の技術では色々無理があり、初飛行からわずか2か月後の8月には事故で失われてしまいます。

展示の機体は2号機で、以後も実験に投入されたようですが、
最終的にいろいろ無理がありすぎると、計画はキャンセルになったのでした。

しかしこうしてみると、どれだけボツになった計画があるんだアメリカ空軍、と思わざるを得ませぬ。
膨大な失敗の上に、今の空軍は存在してる、という感じでしょうか。


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