■F-84Fの生きる道

朝鮮戦争の館、冷戦の館で既に計3機もの異形のF-84を見て来ましたが、
どういうわけかF-84は各種実験機に投入されていたため、
ここでも2機ほど新たに展示されておりました。
すなわちこの博物館にはF-84という名の機体が合計5機もあり、
これは展示の中で最大となります。

そのうち4機は後退翼F-84Fの派生型なので、F-84Fだけでも4機となり、
これもこの博物館では最大の展示数です。
(他にはF-86がD型を入れると4機、F-111とF-4ファントムIIが3機あるが)
なんでまた…という気がしますけどね…



リパブリックXF-84H。
1954年7月に初飛行したターボプロップエンジンを搭載したプロペラ機です。
、後退翼型F-84FにアリソンのXT-40Aを載せ、本気で音速超えを狙ってました(笑)。
搭載してるエンジンはターボプロップのアリソンXT-40Aなので後ろの排気口はほぼ推力を生んでおらず、
機首の巨大なプロペラだけで飛んでる機体です。ジェットとプロペラの混合推進では無いのに注意。
というか、この大きな排気口、意味ないじゃん…
(ちなみに博物館の解説ではエンジンはX“F”-40となってるがXT-40の間違いだろう)

よく見るとコクピットの後ろに小さい黒い三角の安定翼があるの、判るでしょうか。
あれはプロペラ後流の影響を打ち消すためのものだとされてますが、
実際はあそこで渦を起こして垂直尾翼の安定性を上げたようにも見えます。
ただし、この辺りの詳細は不明です。

普通に考えて、正面に巨大なプロペラがある機体で音速を超えたら、
プロペラ全体が超音速気流の直撃を受けておそらく推力が出なくなると思うのですが、
(圧縮流体の中に入るのだからベルヌーイの定理の前提が崩れ、揚力は発生しない)
その辺りをどうやって解決するつもりだったのかは全く判らず。
巨大なスピナーを正面に付けて、少しプロペラまでの距離を稼いでるのは、
ひょっとしてその辺りの対策かとも思えますが、どうかなあ。
(先端部の衝撃波壁から少し後ろに置くことで、その影に完全に収まるようにしてる?)

ついでによく見るとプロペラ先端が切り取られているのですが、
これがプロペラ先端速度が音速を超えないための工夫なのか、
(円周の一番外を回る部分が最も高速になる。繰り返しになるが音速を超えれば揚力は消える)
それとも機首先端の衝撃波壁の背後にプロペラを収めるための工夫なのかもよく判りませぬ。

が、素人目にも、これで超音速は無理じゃん、という感じですね…
そもそもタージェットでも音速超えれなかったF-84Fを使って、
なんで超音速プロペラ機を造ろうと考えたのか理解に苦しむ部分です。

どうも空母でのジェット機の運用は不可能、と考えられていた時代に
空母から運用可能な高速機として海軍が発注したようですが、
結局、カタパルトで強引に打ち出せばジェット機の運用も行けるぜ、となってしまい、
あっさりキャンセル、その後、なぜか空軍が引き取って実験を続けたものらしいです。
それでも、とりあえず830q/hを超えてたらしいので、高速機ではあったんですけども…

ちなみに凄まじい騒音を出す機体としても有名で、
F-84Fの愛称、Thunder streak、「雷鳴の稲妻」をもじって、
Thunder screech 「雷鳴の金切り声」と呼ばれていたそうな。
当然、非公式名称のようですが。



そのアリソンのターボプロップエンジン、Allison XT-40-A-1。
軸流式ガスタービンを二基ならべた大型ターボプロップエンジンで、
最大出力は5000馬力を超えて来る、というシロモノでした。

ただし、エンジンとしてはどうもイマイチだったようで、
これを搭載して試験した後、まともに量産された機体は無く、ほぼ幻のエンジンとなっています。
アリソン、二つ並べるの好きですけど、ほぼ失敗に終わってるような…
そもそも、単発機に積むにはちょっとデカすぎる、という面もありますね。



そして5機目のF-84F、YRF-84F FICON。

その名の通り、冷戦の館で見たRF-84Kサンダーフラッシュと同じFICON計画用のもので、
B-36の腹の下に抱えられて敵地まで飛んでゆく機体であり、こちらが最初に実験に投入されてます。
このため鼻づらに空中収容のためのフックがついてますし、水平尾翼も下に曲げられています。

が、実はこれ、F-84Fの先行試作機、YF-84でもあるのです。
YF-84Fは2機造られたのですが、おそらくその1号機で、それを後からFICON用の機体にしてしまったもの。
YF-84Fは1950年6月に初飛行に成功してますが、その後1951年になってからFICON計画への転用が決まり、
この空中収容型としては1953年3月に改めて初飛行したようです。
ただし先にも書いたように、途中から偵察任務が追加されたため、RF-84Kが使用される事になってしまいます。

ただしRの文字が入ってる以上、この機体にも偵察機材は積まれてたはずですが、
詳細は不明で、まあ、正直どうでもいいや、という気がするので深入りはせず(手抜き)。



これも一部で有名なマクダネルXF-85ゴブリン。

これまたB-36に搭載して行く“寄生戦闘機(Parasite fighter)” ですが、こちらはゼロから新規開発されたもの。
(ただし一連のテスト飛行はB-29で行われた)
1948年8月に初飛行しており、アメリカ空軍でF-84の次の戦闘機がF-86なのは間にこれがあったからです(笑)。
 
爆撃機に搭載するため、極めてコンパクトな、というか無茶苦茶な構造になってますが、
初期の機体ではさらに加えて主翼が根元から上に折りたたみ可能でした。
ただし、あまりに胴体が短く、垂直尾翼が3枚もありながら直進安定性にかけ、
このため主翼の翼端部にまで垂直安定板が付けられた結果、
これが引っかかるため、以後、折りたたみ機構は外されたようですが…

ここまでくると敵地まで持って行く、という手段がいつのまにか目的になってしまっていて、
戦闘能力なんてちゃんと考えてあったんだろうか、という気も。
ちなみに12.7o機関銃を4門搭載出来ますが、展示の機体では外されてしまってます。
(機首のちょっと色が違う長細い部分がその穴を塞いだもの)

ついでに爆撃目標の付近でB-36から発進、護衛終了後に再びB-36に戻る以上、
地上での運用は一切無しであり、よってこの機体、脚がありません。
ところが実験を開始してみると、B-29の巨大な後部気流に巻き込まれてしまい、
はげしい振動によって機首のフックを爆弾庫内の回収装置に引っかける事ができず、
緊急胴体着陸に追い込まれる事態が多発します。
まあ、こんな小さい機体なんだから当然ですが、より大きなB-36だと
これはもうさらにヒドイことになるのは目に見えてましたから、当然のごとく、開発は中止となったのでした…
まあ、それ以外にも問題山積みだったようですが。

ちなみに一応、後退翼機でもあり、時速1000q/h、
音速一歩手前で飛ぶ予定だったとされますが、どうかなあ…
実際の飛行でどこまで出たのか記録が見てないので断言はできませんが、
無理じゃないですかねえ…


NEXT