■Xplanes とデルタ翼

という感じで現存するX-5までの機体は全てこの博物館にあるのですが、
次のX-6は一部で有名なコンベア社B-36改造原子力爆撃機ですから、さすがに展示は無し。

X-7はYF-12(後で登場)やSR-71に搭載されたラムジェットエンジンの試作ミサイルで、
この博物館、現物を持っていたはずなんですが、現状、なぜか展示は無し。

X-8は実験用ロケット エアロ・ビーで、ICBMの館で見たサルとネズミを打ち上げた例の実験用ロケットですが
これまた現物の展示はありませんでした。

その次、X-9はこれまたベル社の実験ミサイルで、
空対地ミサイル、ラスカルの先行試験機でしたがこれも展示無し。
(ただしラスカル本人が後に登場)
という事で、お次はX-10となります。
でもってX-10の次の展示機、X-13は垂直離着陸コーナーで取り上げます。



ノースアメリカンX-10。
かなりカッコいい無人機で、全部で13機というX型番機では多めの数が造られた機体。
1953年10月に初飛行、マッハ2.05での無人飛行にも成功してます。

これはターボジェットエンジン搭載核巡行ミサイルSM-64ナヴァホの先行実験機でした。
無人機の場合、量産予定のあるミサイルなどでも、Xナンバーが与えられたため、
純粋な技術実験機ではない機体となってます。
ちなみにこれも開発のきっかけはドイツのV-1などの影響だったとされます。

ただし、開発に手こずっているうちに宇宙ロケットの弾道ミサイル(BM)が完成し始め、
アメリカ空軍はそちらに軸足を移したため、巡航ミサイルのSM-64そのものがキャンセルとなってしまいました。
それでも後のノースアメリカン社の高速機の基礎を造った機体で、
双発エンジンで二枚尾翼、主翼の先端をカットしたデルタ翼などは後のA-5でも踏襲され、
以後の超音速機のお手本となって行きます。

ちなみに空中で発射、目標に突っ込んで爆発というものなので、
本来は脚は不要なんですが、飛行実験機を使い捨てに出来ないので着陸用の脚を付けたもの。
これを利用して後には自力で滑走して離陸、というのも計画されたらしいのですが、
結局、計画そのものがキャンセルとなってしまったのでした。
ちなみに展示のモノが唯一の現存機だそうな。



一部で人気の前進翼超音速実験機 グラマンX-29A。
通常の後退翼とは逆、主翼を前に傾けた前進翼の機体です。
1984年12月に初飛行、その後、主な運用はNASAが担当して無事音速も突破してます。

ちなみに開発はグラマン社ですが、予算節約のため、機体はノースロップのF-5Aを流用して改造、
さらに脚回りだけはなぜかF-16から引っ張って来たようです。

気流が主翼断面を通過する距離が延びればこれは気流の減速と同じ効果があります。
(速度=距離÷時間だから。通過時間も伸びるが距離の延長の方がずっと大きいので速度は落ちる)
気流に対して主翼の断面を斜めに置くと通過距離が実質的に伸びるため、
音速直前の高速時でも翼断面を通過する気流が音速を超えず翼面上衝撃波は発生しません。
つまり揚力をキチンと発生させた飛行が可能となります。

この効果を狙って主翼の断面を進行方向斜め後方に傾けるのが後退翼ですが、
斜めにすりゃいい以上、実は主翼を前に向けて傾ける、つまり前進翼でも同じ効果があります。
(ちなみに傾けるなんて面倒なことをせず、直接翼断面を引き延ばしてしまうのがデルタ翼)

これは後退翼の原理の発見と同時に既に広く知られており
第二次大戦中、すでにドイツではその実験機の計画がありました。
(この博物館の解説だとアメリカにもあった、とするが私は知らない。
後退翼ですら試してないアメリカがやってたとは信じがたいが…)

が、前進翼の場合、主翼の付け根位置がやたら後ろに行くため
エンジン周辺に主翼の取り付け構造を造らねばらなず、強度設計が困難な事、
高速飛行時に強烈なねじれの力が掛かるため、高速飛行用の翼なのに高速飛行に向かない、
といった欠点があり、ほとんど採用された例がありませんでした。
それらの欠点を克服しても、結局、後退翼と同じ効果を得られるだけなので、
だったら別に後退翼でいいじゃん、という話なのです。

こられの欠点を軽量、強靭な新素材で埋め合わせ、
さらに最新のコンピュータ制御、すなわちフライバイワイアを採用して
前進翼でも音速を超えてしまったのがこのX-29Aでした。
当然、世界初の前進翼超音速機となってます。

ただし音速以下の機体なら、西ドイツ時代に造られたビジネス機、
MBB HBF 320 ハンザなどの前例はあったんですけどね。
が、結局、ロシアの一部のアレとかを別にすれば現在に至るまで
未だ実用レベルの機体は登場してませんから、やはり後退翼で十分だった、という事でしょうか。

展示の機体は2機制作された機体の1号機で、
一連の飛行試験が終わった1994年に寄贈されたものだとか。



コンベアXF-92。
横からだと判りにくいかもしれませんが、コンベアお得意の無尾翼デルタ翼機で、
後のB-58、F-102などの基礎となる機体でした。

その名の通り、試作戦闘機で、そもそもは高速迎撃戦闘機の先行試作型として製造されたのですが、
超音速飛行でしかもラムジェットエンジン、という野心的過ぎた計画はあっさり中止となりました。
その後、デルタ翼の実験機として使われたため、事実上のX型番機の一つに近い機体です。

ラムジェットエンジン(後で解説します)をあきらめた後、通常のターボジェットエンジンを搭載し、
1948年9月に初飛行、ジェットエンジンで飛んだ最初の無尾翼デルタ機となりました。
(エンジンは手っ取り早く手に入ったアリソンJ-33で、P-80/T-33と同じもの)

でもって、この形を見れば想像が付きますが、これもドイツの秘密技術の転用で、
アレクサンダー リピッシュ博士の実験用デルタ翼グライダー、DM-1が元ネタです。
DM-1は終戦後、アメリカに持ち込まれNACAが詳細なデータを取り、これをコンベア社が利用したとされます。
(ちなみにDM-1はスミソニアンが現在も保管してる)

が、1948年の初飛行なら、リピッシュ本人もすでにアメリカに渡っており、
機体の開発になんらかの協力をしていても不思議は無いのですが、
私が確認できた範囲の資料では、この点を明記したものがありませんでした。
とりあえず、コンベアのデルタ翼はDM-1からNACAが取ったデータを基にしてる、
それ以外の詳細は不明、という所ですね。



下から見るとデルタ翼、エレボンの一枚動翼というのが判りますね。
この段階ではまだ主翼前縁部の丸み、ワープ翼構造がまだ無いのも見て置いてください。


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