■だんだん変なのが出て来る
さて、ここからようやく試作機、実験機の展示に入って行きましょう。
この辺りの展示は変なのばかりで、いろいろアレなアメリカ空軍の歴史となっております。
まずはフィッシャーP-75Aイーグル。1943年11月に初飛行した戦闘機です。
一応、量産機(6機だけだけど…)なんですが、試作機扱いでここに展示されてる悲しい戦闘機。
ちなみにフィッシャー(Fisher)は自動車メーカー、ゼネラルモーターズ(GM)の車体製造部門(Division)で、
すなわち事実上のゼネラルモーターズ製の軍用機となります。
なんか妙に機首が長い機体だなあ、あれ、二重反転プロペラか、といった辺りが第一印象ですが、
なんでこんなに機首部が長いの、そしてなんで二重反転プロペラなの、というのを知ると
よくまあこんな機体を造ったなあ、というものとなっております。
ついでに注意して見るとプロペラスピナーの直後の胴体に小さな出っ張りがありますが、
あれが12.7o×4の機首機銃です。
そもそもはアメリカ陸軍が高速で一気に高高度まで到達できる迎撃戦闘機が欲しい、
と国内のメーカーに打診した事から始まるのですが、
日本もドイツも高高度爆撃機など持ってませんし、さらにアメリカ本土はおろか、
その前線基地ですら爆撃に行くのは困難でした。
よって、なんでそんな機体を欲しがったのかはよく判りませんが、この妙な要求に応じたのが、
ゼネラルモーターズで、その車体制作部門のフィッシャーが担当となりました。
この辺り、他のメーカーやゼネラルモーターズ傘下の航空機メーカー(イースタン、ノースアメリカン)は
まともな機体の生産で忙しく、その結果、フィッシャーに白羽の矢が立ったような気がします…。
ところが陸軍もやっぱりそんな機体いらんわ、とすぐに気が付いて、
当時切実になっていた長距離護衛戦闘機に変更せよ、と突然、言って来ます。
これは100m走の選手を捕まえて、人数が足りないから駅伝にも出て、しかも勝てよ、というようなもので、
フィッシャーも驚いたと思いますが、金を払う連中がそういってる以上、従うしかありません。
そして当然のごとく設計は迷走、当然のごとくイマイチな性能となってしまいます。
でもってとっくにマーリンムスタングが登場してますから、最終的に計画はキャンセルされ、
わずかに6機の量産で終わってしまったのでした…
(他に先行試作型、XP-79が8機あったが。つまり量産型より先行試作型の方が多い…)
横から見ると、なんとも変な印象の機体なのは胴体内部にエンジンを積む中央配置の設計だからです。
これはベルP-39を参考にしたものでした。
この機体、戦時中に発注された事もあって開発が急がれたため、機体の基本構造はP-39を参考に、
さらに主脚から外の主翼はP-51を、尾翼周りはSBDドーントレスを、
さらに主脚周りはF-4Uコルセアのモノをそれぞれ参考に設計されました。
なんだか着ぐるみの製造が追いつかなくなった放映後半の合体ウルトラ怪獣みたいですな。
(この辺りそのままパーツごと流用した説と、参考にしただけでパーツはキチンと新造説があるが詳細不明)
ただし生産型のこのP-75Aではかなり大幅な変更が加わっており、
F-4Uの主脚以外はほぼ新造になってるようです。
妙に機首が長く見えるのは主翼が当時の機体としては異常に後ろにあるからで、
これは重量物のエンジンを機体中心部に積んだ結果です。
機体の重心点がここにある以上、機体を支える主翼もここに来るわけです。
この辺りはP-39の設計を参考にした結果ですが、なんで当時すでに評判のよく無かったP-39を参考に?
といえばそこにしか積めないエンジンを採用してしまったからでした。
デカすぎて機首部には入らなかったのです。
ちなみにコクピットの後ろ、胴体上に飛び出してる黒いのはエンジン排気管で、
こんな場所から排気管を出さないといけないような設計のエンジンでもありました。
それってどんなエンジンだよ、というと…
こんなエンジンでした(笑)
動力軸が2本あるステキエンジン、アリソンのV-3420ですね。
最初、とにかくチョッパヤで高度を稼げる迎撃戦闘機として計画されたため、
当時、最大の出力を持っていたこれの搭載が決定されたのでした…。
3420?とピンときた人はご名答、これはアリソンの定番エンジンV1710×2=3420で、
すなわちV1710を横に二つ並べてくっつけてしまったもの。
なので12気筒×2=24気筒という凄まじい液冷エンジンとなっております。
まあドイツとかも似たようなエンジン造ってますけど、
2軸出力ならエンジン二つ積めばいいんじゃないの、という気が…。
ついでに過給機は機械式の1段スーパーチャージャーのみで、
エンジンの後ろ側に付いてます。
…それで高高度迎撃戦闘機は無理じゃないですかね…。
P-75が二重反転プロペラなのはこの2軸でそれぞれのプロペラを回すためなんですが、
どうも話はそう単純ではなく、かなり面倒な事をやってる、という説もあり。
でもそんな事まで調べる気は無いし、調べても得るもの無さそうなので、この話はここまで。
ちなみにこのV-3420の当時の評判は見たことが無いのですが、全部で150基の生産で終わってる辺り、
どうもやはりまともに動かなかったんじゃないかなあ、と。
参考までにP-75以外の採用は、XB-19、XB-39、XP-58と死屍累々という感じになっております(笑)。
(XB-39はB-29にこれを積んだもので、ただでさえエンジントラブルの多いあの機体になんでまた、
という気がします。B-29搭載のR-3350は当初、よほどダメなエンジンだったんでしょうかね)
それらの中で唯一、Xナンバーでは無く、生産まで進んだのがこのP-75Aなんですが、
総生産数6機ですからねえ…
お次はベルP-59B エアラコメット。
ついでにこの写真では後ろのXB-70の凄まじいジェット排気口も見といてください。
朝鮮戦争編で見たロッキードP-80がなぜ“アメリカで最初のジェット戦闘機”ではなく
“アメリカで最初に本格量産されたジェット戦闘機”という
妙な肩書なのか、といえば1942年10月に初飛行した、この失敗作が先にあったからでした(笑)。
これが“アメリカ最初のジェット戦闘機”であり、わずか50機前後とはいえ、量産までされてるのです。
展示のB型はこりゃ失敗作だ、となって20機の生産で終わったA型の改良型ですが、
これまたかなりイマイチだったので、30機前後の生産で打ち切られてます。
ちなみにこの改良型のBでも最高速度は670q/h前後、700q/hに達しておらず、
これはP-51、P-47より低速ですから、アメリカ陸軍としては心底ガッカリ、という感じだったと思われます。
それでもドイツ、イギリスのジェット機と違って胴体にエンジンを搭載、
左右に空気取り入れ口を置く、というそれなりに先進的な設計など、見るべき点もあるんですけどね。
(ただし出力の小さいエンジンで空気取り入れ口をこの配置にすると吸気不足になりやすいのだが)
とりあえずアメリカ陸軍&空軍としてはなかった事にしたい機体ナンバー1であり(笑)、
このためこれまた実験機の館に送り込まれてしまったのでした…。
ロッキードP-80R。
再び登場、“アメリカで最初に本格量産された”
ジェット戦闘機。
この機体のRは偵察機では無く、GT-RとかのRとほぼ同じRです(笑)。
速度記録挑戦用に改造されたもので、機体表面の継ぎ目を徹底的に潰してる他、
コクピットのキャノピーも小さいものに変更されてます。
このキャノピーの小型化は、以後の速度記録機なども踏襲してますね。
1947年6月19日に時速1003.6qの新記録を打ち立ててますが、その直後、
8月にアメリカ海軍のダグラス スカイストリークに記録を破られてしまってます。
さらに10月にはチャック・イェガーのX-1が音速突破に成功してしまったので、
イマイチ影が薄い、というか微妙だね、という機体になってしまってます。
(X-1の音速突破は当初、軍事機密で公表されなかったが、2か月後には
ニューヨークタイムズなどに音速飛行の成功をすっぱ抜かれてしまった)
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