■海を越えてラララ敵のど真ん中



ほとんど誰も興味がない気がしますが(笑)、せっかくですから一通り紹介はしておきます。

左のやや小型な白いミサイルがSM-75(PGM-17A)ソー(Thor)。
1959年から配備が始まったこれは、まだ大陸間弾道ミサイル(ICBM)ではなく、
より飛距離の短い中距離弾道ミサイル(IRBM)でした。
このため一段式の単純な構造のロケットになっており、
アメリカ本土ではなく、イギリスからソ連本土を攻撃する、という運用がなされました。
ちなみに開発は1956年から始まってますので、ソ連のスプートニクショックよりも前で、
アメリカもすでにこの時期から宇宙ロケットによる核攻撃を考えていたのが判ります。

まだ原始的な液体酸素系燃料のロケットだったため、発射の命令が来てから打ち出すまで
15分もかかる、という微妙な兵器でもありました。
射程距離は1500マイル、約2400qですが、弾道ミサイルだと18分で飛んで行ってしまえたので、
これは発射準備にかかる時間と飛行時間がほぼ同じだ、という事です。
となると先制攻撃以外では使えない兵器である事に注意が必要でしょう。

ソ連が先に核ミサイルを発射した場合、これをレーダーで捉え反撃命令が来るまでに数分を要しますから、
そうなると発射前に敵のミサイルがこちらに着弾してしまうので、間に合いません。
(まだ地下サイロ運用では無いので、先制攻撃を食らったらサヨナラ)
なのでその運用は先手必勝しかないのでした。
この点の解決には液体酸素とケロシンの混合燃料より扱いが簡単な、
ハイパーゴリック液体燃料の登場、さらに個体燃料の採用を待つ必要がありました。

その右にあるバカでかいのが(ここの展示で最大)SM-68B(LGM-25C)タイタンII。
冷戦真っただ中、1963年から87年まで配備されていた
アメリカ空軍を代表するICBM(大陸間弾道ミサイル)ですね。

アメリカ空軍が開発した中で最長の飛距離を持つICBMの一つで、
9000マイル、14400qの飛距離を持ちました。
北極圏越ルートならアメリカ本土から1万q前後でソ連全土を射程距離に
捕らえる事が出来ましたから、これ、中国まで届かせる気だったんじゃないでしょうかね。
ちなみにその能力を生かして純粋な宇宙ロケットとしても使用され、
NASAの二番目の有人宇宙計画、ジェミニ計画で使用されたのがタイタンロケットでした。
それ以外にも多くの人工衛星打ち上げに使われてます。
この辺り、何度も書いてますが、宇宙まで飛んで行ってから地上に突っ込んでゆく大陸間弾道ミサイルは
宇宙ロケットと構造的には全く同じものなのです。

ちなみに例のハイパーゴリック液体燃料を使用して
早期発射システムを完成させた最初のミサイルでもあり、
大統領による発射の決定から60秒で打ち出せたとされます。
先に書いたように従来は15分はかかっていたので、劇的な短縮といえるでしょう。
15分だとソ連の発射を確認してから着弾までわずかな余裕しかないので、
もしかしたら誤報かもしれないけど反撃しないと間に合わないから確認する前に撃っちゃえ、
という極めて危ない運用でしたから、これは画期的な進化だったと言えます。



ちょっと画面の右に寄ってますが、銀ピカのこれがSM-68A(HGM-25A)タイタン I。
上でみたタイタン II の初期の型になります。
当時としては長大な6300マイル、約1万qの射程距離を持っていたものの、
配備開始は1962年でII よりわずか1年早いだけ、当然、IIの登場とともに速攻で引退が進みました。
このため、わずか3年しか配備されておらず、1965年には運用が終わってしまっていたICBMとなりました。
この辺り、何か膨大な無駄遣いがあった気がしますね…

それでもアメリカ初の多弾頭搭載核ミサイル(後で解説)であり、
同時に地下サイロからの発射となった最初の弾道ミサイルでもあるので、それなりの意義はあった、
とここでの解説は書かれてましたが、どうかなー、開発迷走してただけじゃないかなー…



LGM-30A ミニットマン(Minuteman) IA。
Minutemanの名は独立戦争時の民兵から取られてますが、
どちらも呼んだら警報から1分以内にやって来る、といった意味です。

従来の液体燃料ではない、固形燃料を使ってより早く、より簡単に発射できるようになった
最初のICBMで、1962年末、すなわち上のタイタン I と同じ年に配備が開始されたもの。
特に個体燃料の安全性と管理の容易さから、アメリカの核ミサイル戦略に大きく貢献、
このシリーズがアメリカの核戦力の主力となって行きます。

固形燃料は扱いは簡単なんですが、着火したら最後、停止はできませんし、
細かい出力調整も難しい、という難点があるものの、あらかじめ目標をセットして置けば
あとは着火するだけ、という手軽さもあったので、ICBMには向いていました。
特に地下サイロでの運用では、定期メンテナンスの作業だけでも大仕事で、
この手間が大幅に省けたミニットマンは、低コストの運用でも大きな優位性を持っていたのです。

当時、完全に狂っていたアメリカ空軍は1500基以上のミニットマンI (A&B型)の配備を計画したようですが、
最終的には800基前後で生産は打ち切られ、ミニットマンIIと次に登場するミニットマンIIIに移行して行きます。
というか、小型とはいえ170キロトン、最低でも広島型原爆の8倍以上の破壊力を持つ弾頭が積めた
核ミサイルを1000発って、何に使う気だったんだ、としか言いようがありませぬ。

先に見たタイタンシリーズに比べると小型で、特にタイタンIIと比べると
射程距離は約半分の5000マイル(約8000q)前後と短めとなっており、
タイタンII とはその辺りで住みわけがなされていたようです。
(ただし後の型では射程距離も延長され、タイタン IIとほぼ変わらなくなる)



その発展型LGM-30G ミニットマン(Minuteman) III G、こちらは1970年から配備が開始されています。
途中でII もあったんですが、まあ、無視してもいいでしょう。

こちらは2018年現在でも未だ現役で配備が行われているICBMですが、
基本設計は1950年代のミサイルですから、これもB-52などと並んで
極めて長寿な戦略兵器となっています。

…正直、それ以上、もう書くことは無いですね。


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