■ボイドの子たち
ノースロップ AT-38B タロン。
すでに書いたように、ノースロップ社が自主開発していた小型戦闘機から造られた複座の練習機。
1959年3月に初飛行して、1961年3月から部隊配備が始まってます。
これの戦闘機型が後のF-5な訳ですが、採用はこちらのT-38が先でした。
また、アメリカ空軍が大規模に採用したのもこちらで、戦闘機型のF-5は安価な戦闘機として
同盟国にばら撒いたものの、アメリカ空軍では少数の採用に留まっています。
T-38はその運動性の良さから、空戦訓練で使われるMIg-21を始めとするソ連機を模した仮想敵機、
いわゆるアグレッサー(Aggressor/侵攻部隊
)機としても使用された機体で、
ベトナム撤退直後の1973年から76年まで、その役目を務めていました。
ちなみにアグレッサー機の跡を継いだのはF-5Eですから、T-38の高性能版とでもいうべき機体で、
この一族がどれだけ運動性のいい機体だったかがうかがえるかと思います。
そしてこの機体がボイド率いるファイターマフィアの目に留まり、
軽量戦闘機の開発にYF-17でノースロップ社が参戦するきっかけにもなりました。
展示のAT-38B型はより実戦に近い訓練ができるようになった型で、
武装が無かったT-38に武装をポッドを搭載し、射撃訓練などができるようにしたもの。
胴体下のポッドの中には7.62oミニガンが入ってます。
今どき7.62oと思ってしまいますが、訓練用ですから、十分だったのでしょう。
マクダネルダグラスF-15Aイーグル。
ベトナムで散々な目にあったアメリカ空軍が、
やっぱまともな戦闘機がいるね、とようやく気が付き開発した機体。
アメリカ空軍のベトナムでの作戦行動が終わる直前、
1972年7月に初飛行した、というのも象徴的な所です。
ただし新型戦闘機の開発はベトナム参戦前、1964年からF-X計画として始まってました。
これがベトナムでの戦訓を取り入れようとしたまではよかったのですが、
途中から設計は迷走を始め、F-111に続く失敗作になりそうになってしまいます。
そんな事態に困惑した当時の空軍参謀総長マコ―ナルが
1966年秋、ボイド率いるファイターマフィアを計画部門に送り込むのです。
この結果、ファイターマフィア―が強烈な主導力を発揮して、この傑作機をまとめ上げてしまいます。
ただし、ボイドは必ずしもその性能とコストに満足してませんでした。
(ファイターマフィアの特徴はソ連に勝つには数が居る、という事でコストも重要な戦力だと思っていた事だ)
その結果、F-16の開発に繋がって行くのですが、この辺りは「F-22への道」で散々書いたので、
そちらを読んで置いて下さいませ。
それでも湾岸戦争、イラク戦争、さらにはボスニア紛争に投入されながら損失はゼロ、
さらに言えば湾岸戦争でアメリカ空軍が公認した36機のイラク機撃墜の内、
32機はF-15によるものでした(例によって実際の数は半分以下だと思うが)。
展示のA型はごく初期の型で、1980年に製造されたもの。
A型は1990年代にはすでに退役が始まっており、湾岸戦争にも投入されていません。
この博物館には1996年に来たとの事なので、15年前後の運用で退役した事になり、
これは後のF-15に比べると半分程度の運用期間だったことになります。
ジェネラルダイナミクスF-16A。
これも「F-22への道」で血反吐吐くほど解説したのでもういいですね(笑)。
あのどうしようもない可変翼戦闘機F-111と同じ会社が生み出した傑作戦闘機ですが、
実は設計チームはF-111と結構同じメンバーが入っており、キチンと失敗から学ぶと
次は立派な結果を残す事もできるのだ、という貴重な例ともなってます。
間違いを認める勇気は美しいし、そして自分を助ける、といういい例かもしれません。
展示機の派手な塗装は例によってサンダーバーズのもの。
サンダーバーズは1982年から2018年の現在に至るまで35年以上F-16を展示飛行機として使用しており、
これは当然、歴代使用機の中でぶっちぎりで最長記録です。
ただし実は途中の1996年に、このA型からC型に切り替えており、現在はC型が使われているのです。
それでも20年以上同じ機体で飛んでる事になりますが…
展示の機体は実際にサンダーバーズで使用されていたものですが、これも退役後は
訓練部隊に再配属されて使用されていたため、博物館での展示に際し、
ネリス基地(サンダーバーズの本拠地)で再塗装されたものだとか。
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