■ステルスもある
世界初の実用ステルス軍用機、ロッキードF-117Aナイトホーク。
Fナンバーですが爆撃機です。
1981年6月に極秘裏に初飛行してますから、これもすでに35年以上前の機体なんですよね…
これに付いてるアメリカ軍の星マークを見て、ああこれがホントの「よだかの星」だ、と思った2017年の夏。
これも「F-22への道」で一通り解説したのでいいですね(手抜き)。
これまたロッキードのスカンクワークスの設計ですが、さすがに“ケリー”ジョンソンは引退後、
二代目のボス、ベン・リッチ率いるチームによる設計となってます。
この形状はロッキード式初期ステルスに基づくもので、飛んできたレーダーの電波を
飛んできたのとは違う方向、すなわちレーダーに反応を出さない方向にはじき返す、
というのを徹底して、レーダー波の反応を打ち消す形状です。
最終的にそこにレーダー波を吸収する塗料を塗って完成となります。
この辺りの技術開発はロッキードの自社開発でして(電波吸収塗料はデュポン社も関連してたが)、
後に空軍がF-117の採用に踏み切るまでロッキードは空軍から1ドル(笑)しか受け取ってません。
なんで1ドルなのかは上のリンク先の記事で読んでくださいませ。
一応、アメリカ軍の最先端技術だったんですが、意外に気軽に実戦投入されており、
1989年のパナマ侵攻、1991年の湾岸戦争、1999年のコソボ紛争などに参加してます。
ただし最後のコソボ紛争では、旧式と言っていいユーゴスラビア軍の対空システムで撃墜されてしまい、
大いにその性能に疑問が持たれるところとなるんですけども…
ちなみに後に2007年になって、この時のユーゴスラビア側の対空部隊を率いていた人物が
Defence
Aviation誌のインタビューに答え、この時は完全にレーダーで捕捉していた、と述べています。
どうも爆弾庫の扉を開いた時には反応が大きくなり、レーダーで捕らえる事が可能だったようですが、
この時のレーダーはF-117を捕らえるため、何らかの改造もしてあったらしいです。
ノースロップグラマンB-2 スピリット。
1989年7月に初飛行なので、F-117より8年後の機体です。
当然、ステルス技術も大きく進化したのですが、
同時にノースロップ式のステルス技術で造られており、F-117のカクカク設計と
まるで違う方向性になってるのはそのせいです。
単なる技術的な進化だけでは無いのに注意が要ります。
ノースロップのステルスはレーダー波の反射を大きくする機体の鋭角部、エッジを徹底的に無くす、
というのが基本的な考え方でF-117のロッキード式初期ステルスとは別物です。
この辺りは後ほど、実験機の館で再度解説することになりまする。
部隊配備は1993年12月からだったので湾岸戦争には間に合ってませんが、
1999年のコソボ紛争には6機のB-2が投入されています。
ちなみにいろいろ維持整備が面倒な機体のため、この時はアメリカ本土のミズーリ州から
往復30時間もかけてコソボまで飛んで行ってました。
この機体、2人乗りのはずですから、交代で操縦するとなると、
一人が寝てる間は一人だけで操縦となっていたはずですから無茶するなあ、という感じです。
というか仮眠スペースあるのか、この機体。
まあ現代の軍用機ですから、ほぼ自動操縦で1人でもまず問題はないのでしょうしが。
ただし、軍事的にそこまでする必要は全く無かったと言っていい戦争ですから
これはアメリカ空軍による実戦試験と考えるべきでしょう。
ちなみに作戦中、B-2の誤爆によりベオグラードの中国大使館を吹き飛ばしてしまってますが…
(狙ってやった陰謀説も無くはないのだが…)
どうもコソボ紛争の時のステルス爆撃は散々な印象がありますね。
ちなみに後に2003年のイラク戦争の時も出撃してるのですが、
さすがにアメリカ本土からは遠すぎたので、当初はインド洋のディエゴ・ガルシア島に
B-2を運用できる設備を設営、そこから飛んで行ってます。
ただし、それ以降には、アメリカ本土からの爆撃も行われており、
イラク相手にそこまでしてB-2を運用する必要があるのかなあ、という気がしなくも無くも無く…
(ついでに言えば2001年のアフガニスタン戦でもアメリカから飛んでる)
展示の機体は2機だけ造られた耐久テスト用のもの。
エンジンや電子装備は搭載されず、機体構造だけのガランドウ機で、
地上での強度耐久テストに用いられ、最終的に破断が起きるまで試されてます。
その破断した分を修復した上で2004年から展示が開始されたようです。
ロックウェルB-1B ランサー。
可変翼を持った(笑)超音速爆撃機です。
ちなみにロックウェルはボーイングに買収されたため、ボーイングB-1Bとされる事もあります。
このB-1はいろいろ面倒な機体でして、最初のA型と
実際に量産されたB型とではほぼ別物、という位に性能が違います。
本来の超音速核爆撃機であるA型はマッハ2を超える性能を計画していたのに対し、
実際に生産されたこのB型はマッハ1.2までに抑えられ、
その他もいろいろ機能向上とは言い難い変更が加わっています。
そもそもは超音速の低空侵入でソ連の奥地に核爆弾を落として逃げて来る、
という機体として開発されていたものの、
あまりに高額な機体となってしまったため、1977年にB-1A型の開発は一度キャンセルされました。
本来ならそこで話は終わりだったのですが、レーガンが大統領選に置いて
自分の選挙基盤、カリフォルニア州にあったロックウェルのこの機体の開発再開を公約してしまったため、
予想外の復活を果たしてしまった、ほぼ純粋に政治的な軍用機です。
これはレーガンの汚点の一つと言っていいでしょう。
といっても突然どっかから金が沸いて来るわけではないので、
いろいろとコストダウンのための性能低下を飲んだ機体となっており、
正直、そこまでして生産する必要があったのかは疑問が残ります。
(当時のアメリカは不景気の真っただ中。これをレーガンがひっくり返すのだが、
その成果が出てくるのは政権末期で、とてもまだそんな時期ではなかった)
まあ、正直、特に書くことの無い機体なので、知りたい人は各自調べてください(手抜き)。
といった感じで、今回はここまで。
済みませんが、今回もオマケ編は無しです。
とてもそこまで手が回りませぬ…
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