■核兵器コレクション
そしてその先にはアメリカの水爆軍団の展示が。
悲しい冷戦の産物、というより、どうよスゴイでしょ私の所のこの爆弾!という感じの展示になっており、
アメリカ空軍の頭の中がよく理解できる展示ではありました…。
まあよくもこんなに造ったもんだ、という感じですね。
人類の戦争の終局点であり、なんだかんだ言っても
1990年代まではこれが抑止力になって戦争は限定戦争になってたのも事実です
(それ以降は世界中の経済的な結びつきが強くなりすぎて一定レベル以上の国家間闘争はありえなくなってる)
核兵器が無ければ、アメリカは朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、
限定介入なんて面倒なことをやらず、全力でソ連の横っ面を貼り倒しに行った可能性は
ゼロでは無い、というかマッカーサーやジョンソン大統領なら多分、やってたでしょう。
実際、マッカーサーはやりかけましたしね…。
アメリカの、そして世界初の水爆、Mark-17。
先にも書いたように起爆装置に原爆を使う事もあり、この巨大な図体になっております。
後に起爆装置に使われるプルトニウム型原爆の小型化に伴い、劇的に小さくなるんですけども。
ちなみに全長で7.52m、重量は21トンあり、おそらく航空爆弾としては未だに最大じゃないでしょうか。
破壊力は15メガトンあり、アメリカが以後採用した水爆に比べても強力なモノでした。
これを抱えて飛べたんですから、B-36はやはりスゴイ爆撃機だなあ、という気もします。
ただしこの爆弾、なにせデカすぎたんで、間もなく配備が始まった小型水爆に速攻でその座を譲ります。
このため1954年に配備が始まりながら、わずか3年後の1957年には退役に追い込まれてました。
ちなみにこれ、あまりの重量にB-36の爆弾庫の壁を突き破って落下する、という事故を
1957年の5月に起こしており、それも引退を早めた理由の一つかもしれません。
(起爆装置のプルトニウム原爆部は取り付けて無かったので爆発の危険は無かったとされる)
ついでに後ろのB-36の胴体の外皮部分が、まるで気球のように薄っぺらいのに注意してください。
これはB-36の設計は、近代航空機では普通に採用されてる
外皮の金属板にも機体構造の強度を負担させるモノコック構造ではなく、
頑丈な骨組みで機体をくみ上げて、それだけで強度を維持する、という特殊な構造のため、
外皮はただの機体のカバーだからです。
すなわち外皮はあくまで骨組みをむき出しにしないための覆いに過ぎず、
ペラペラのマグネシウム合金が表面に張られてるだけなのです。
ある意味、第一次大戦期の羽生張り複葉機に似た構造で、
より頑丈な骨組みにして、外皮を羽布ではなく、マグネシウム合金にした機体構造とも言えます。
変な機体なんですよ、B-36。
というわけで、こちらがより小型化された水爆 Mark
28。
1958年に採用された水爆ですが全長2.44m、771sと
最初の水爆のMark
17からわずか4年でここまで小さくなってます。
その代わり威力も最大で1.4メガトンになってますが、それだけあれば十分でしょう…
ちなみにこれ、F-100とF-105、センチュリーシリーズの単発ジェット機でも搭載出来たそうな。
となると、戦術核爆弾の分類になるんですが、最低でも70キロトンの威力を持っていたとされるので、
これまた都市一つを軽く消し去ってしまる破壊力を持ってます。
むちゃくちゃですねえ…
ちなみにここまで一気に小型化が進んだのは、起爆装置となる爆縮型の
プルトニウム型核爆弾の小型化に成功したから、という面が大きいです。
ちなみに小型化されたプルトニウム原爆は、例の核対空ミサイル、そして核機雷などにも搭載されて行く事になります。
マーティン TM-61A マタドールミサイル。
巡行核ミサイルで、専用の運搬車から発射されました。ただし射程距離は1100q前後しかなく、
このため西ドイツに展開してたアメリカ軍が主に配備していたようです。
ちなみに開発開始は1945年の終戦直後からとされるものの、実戦配備は1954年からと大分時間が掛かってます。
巡行核ミサイル、マーティンCGM-13B メイス。
上のマタドールの発展型で、1959年から配備が始まってます。
これはどうも上のMark
28水爆を内蔵していたようですが、詳細は不明。
というか、ここら辺りは私も興味が無いので、正直、よく判らんです(手抜き)。
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