■色んな冷戦



1952年からアメリカが運用し始めた最初の戦術核爆弾、Mark7。
戦術核爆弾は大型の戦略爆撃機でなくても運用可能な小型の核爆弾で、
主に数で勝負してくるであろう共産主義陣営の陸上部隊(特に戦車部隊)に対して使う事を考えられていた核兵器です。
まあ小型と言ってもこれ、小型化には限度があるウラン235型原爆なので
全長で4.6m、直径で76pとかなりのサイズとなってます。

このMark7は8キロトンから61キロトンまで威力が調整可能だったそうですが、
どういった仕組みなのかはよく判らず。
ちなみに前回見たように広島型原爆でも最大20キロトンなので、
戦術核と言っても、都市一つくらいは軽く消し去れる爆弾になっています。
まあ、狂ってますね。

先に見たF-84Fがこれを最初に搭載できる機体だったのですが、
後のF-100、F-101にも搭載可能となっていた他、海軍でも使用してました。



ヴァートル CH-21B ワークホース。
元はパイアセッキ社時代に開発されてますが、途中で社名変更されたため、
ここではバートルとしておきます。
とりあえず空飛ぶバナナ、フライング バナナの愛称の方が通りがいいと思われる機体であり
浜松の航空自衛隊広報館でも屋外展示されてたヘリですね。

1952年に初飛行したタンデム(縦に二個)ローター配置のヘリコプターですが、エンジンは一つです。
この時代に軽量小型のターボプロップエンジンは無いので、これ、第二次大戦期の空冷星型エンジン、
R-1820 サイクロンを一基だけ胴体後部に積んで、前のローターは長いロッドで駆動してます。
とはいえ、この時期にはR-1820も1450馬力までパワーアップしてたので、
当時としてはかなりの搭載量を誇り、完全武装の兵隊さんを20名は積めたのだとか。

空軍の場合、例によって救難機としての運用ではないかと思われますが、詳細不明。



コンヴェア B-58A ハスラー。
1956年11月に初飛行した世界初の超音速戦略核爆撃機です。
これはB-52の実戦配備直後のタイミングでしたが、部隊配備はそれから3年半後の1960年3月となってます。
同時に世界初の4発エンジンによる実用超音速大型機でもあり、
後のコンコルドの設計などにも影響を与えたと言われてます。

ちなみに全部で116機生産されたのですが、その内30機が試作機&先行試作量産機で、
すなわち全生産数の約1/3が試作状態だった、という変な機体でもあります。
超音速爆撃という新しい技術の確立には、かなり手こずったようです。

この機体、3人乗りなんですが、機関士は居らず、パイロット、航法士兼爆撃手、
そして副操縦士兼防御兵装操作手となってました。
ちなみに三人目のお仕事、防御用兵装担当といってもケツに20oヴァルカン砲が1門あるだけなので、
どうも簡単なECM装備を積んでいて、自力で敵のレーダー潰しをやっていたんじゃないかなあ、という気も。
(M-61ヴァルカン砲の命名前の時代に積んでしまったので T-171E-3と表記されてるが事実上ほぼ同じもの)
ただし、これもよく判らず。

ついでに胴体下の巨大なタンクは必須装備で、これが無いとこの機体は爆撃機として使えませんでした。
よく見ると単純な円錐型ではなく、二重構造のタンクになってるの、判りますかね。
これ、二段式のタンクで外側のタンクの中に包み込まれるようにもう一つ別のタンクが入ってるのです。
外側のタンクは普通に増槽、切り捨て型の増加燃料タンクで、まず最初にこれを投棄します。
で、その内側に入ってる小さなタンクが実は爆弾庫で(笑)、
この機体、戦略爆撃機なのに、胴体内に爆弾庫がないのです。
燃料タンクを投棄した後、むき出しなったここから爆弾を投下して、最後はこれも切り離し、
身軽になって敵地から離脱する、という形になります。

ちなみに爆弾庫ポッドの代わりに偵察用のカメラポッドなども搭載可能で、
こちらは最後まで切り離さずに持ち帰ったと思われます。
まあ、いずれにせよ、最初に燃料タンク部分を切り離さないとならないのですが…

展示の機体は3つの速度記録を達成したB-58だそうで、
1962年3月に行われた大陸横断長距離飛行の間に、それを達成してしまった、との事。
ただし具体的にどんな記録なのはよく判らず(笑)…。



この機体の最大の特徴が、超音速飛行に適したデルタ翼の採用です。
これだと機体正面の衝撃波壁の陰に主翼をキレイに収める事ができ、
このため超音速飛行時でも音速以下の気流を維持してキチンと主翼で揚力を稼いで飛べます。
しかも主翼断面型を縦に引き延ばすので後退翼と同じ効果があり、
(気流が翼断面の上を通る距離が延びるから実質的に減速となる)
音速直前で発生する翼面上衝撃波の対策にもなってました。
この辺り、戦後、ドイツからもたらされた技術を早くから研究してたコンベア社の得意とする設計ですね。

もう一つの特徴が、初期のエリアルールにのっとった胴体の絞り込みで、
正面から見た時の断面積が一定になるように、主翼が拡大するにつれて胴体が絞り込まれてます。
ただしこれ、実はマッハ2まで出せたB-58ではほとんど意味が無く、
そこまでの高速を出すなら、エリアルール2号を適用させねばなりませぬ。
この機体の設計時にはそこまで判って無かったので仕方ないんですけどね。
(エリアルール1号を掲載したNACAのReport 1273が1952年の公開、
より高速に対応したエリアルール2号のReport 1284 1956年の公開)
ここら辺りは旅行記で書く話のレベルを超えてるので、
「F-22への道」“戦闘機の楽園編”の中の超音速飛行編を見といてください。

ついでにこのスタイルからコークボトル型、コーラ瓶型、と呼ばれてますが、
現場のパイロットなどの間ではワスプ ウエスト(ハチのくびれ)と呼ばれてました。
なんだそれ、という感じですが、女性用の体形補正コルセットの一種で、
強烈にウエストを締め上げて強いくびれを作り出すものだったようです。
まあ、言いたいことは判りますが…

ついでによく見ると主翼の端、翼端部が下向きに丸めてあるの、判るでしょうか。
音速超えのデルタ翼に使われる、いわゆるワープ(Warped)翼で、これB-58から既に使われてたんだ、
と今回初めて気が付いて驚いた点でした。
大型機ではコンコルドが最初だと思っておりました。
どうもこれ、コンヴェア社がこの機体の前に開発していたF-102から採用が始まったようです。
ただしこれの本来の目的は私にはイマイチよく判らず、おそらくデルタ翼で発生する前縁部の渦を
抑えるためのもの(空気抵抗源になる)、という辺りだと思うんですが…

ついにでお尻から飛び出してる筒が、例の20oヴァルカン砲の銃身です。
旅客機などによく見られる補助エンジン(APU)の排気口ではないので注意。



なにせマッハ2まで出ちゃった機体なので、普通に脱出は不可能として、
後期の型では3人の搭乗員はそれぞれこういった脱出カプセルに座ってました。
何かあった場合、正面のシャッターが閉じてから機外に射出され、高速風圧からパイロットを守るのです。
ついでに極寒で空気の薄い高高度での生命維持の意味もあったみたいですが。



そして戦略爆撃機ですから、水爆も搭載可能でした。
ただし、例の二重構造タンクに積むため、専用のものとなっており、それがこのBA53水爆となります。
ついでに後ろにその二重タンクが見えてますが、このやや小さな上の段が爆弾庫で、ここに搭載するのです。

これは9メガトンの威力を持つB53(Mark53)水爆を
この機体用に改造したもので、破壊力などはそのままのようです。
ちなみにB53は1997年まで現役で配備されており、
前回紹介したB41の退役後はアメリカ軍が持つ最強の爆弾でした。
それを超音速爆撃機に積んでしまうんだからスゴイ話です。

ついでにB53はバンカーバスター、要塞破壊爆弾の一種となってます。
9メガトン、TNT火薬900万トン分のエネルギーがあれば、要塞でもなんでも来いだろう、
と思ってしまう所ですが、核兵器のエネルギーは主に熱と放射線、そして熱が引き起こす衝撃波なので、
実は地面奥深くに潜られてしまうと意外に効果は薄く、このため地下深くの核シェルターに居る敵は潰せないのです。
(土を蒸発させるほどの高温を広範囲に生じさせることはできない)

なので一種の地震を引き起こしてこれを圧潰させるようになってたとされますが、詳細はよく判らず。
おそらく通常の核兵器と違い、地表近くで爆発させ
(爆発の熱円の下側が地面に隠れてしまうので無駄になるため、通常は一定の高度を持って爆発させる)
強烈な衝撃波を地面にぶつけて地面下の空洞を圧潰させたんじゃないかと思いますが、断言はできず。

ちなみに水爆まで使用して破壊する目標としては、当時としてはモスクワの地下施設しか考えられないので、
アメリカは本気でソ連の指導部を塵にする気だったと思われます。
相手の政府を消し去ってしまう以上、休戦協定とかは無い、一方的な国家破壊となるわけで、
やはり狂ってますね、この時代のアメリカ空軍…。



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