■落穂ひろい ベトナム編 その2



ベトナムコーナーにあったジープとその牽引車…と見せかけて、朝鮮戦争のとこでも見た、
地上から航空支援の指示を出す車両で、車体がアンテナだらけなのはそのためですね。
ベトナム世代になると単純にジープに無線だけ積んで、とはいかず、
牽引車に機材と発電機を積んで引っ張ていたのだとか。
正式名称はAN/MRC-108 コミュニケーションシステムだそうな。

ベトナム時代でも地上部隊の無線機で航空機無線への連絡は不可だったので、
このジープで空軍の人員が地上部隊について歩き、FAC機、
さらには攻撃機やヘリコプターにまで直接指揮をしておりました。
(ただし空軍の管轄のヘリで、おそらく陸軍の地上攻撃ヘリでは無いと思うが詳細不明)



その無線装置の牽引車部分。M416という名だとか。
上に乗ってるのはガソリン発電機。
無線機本体は乗っておらず、備品や食料、そしてこの発電機を運搬するためのものらしいです。
近接航空支援(CAS)任務の時は朝鮮戦争と同じ3人組で活動したようですが、
それ以外にも物資の空中投下の誘導などもやっており、その任務は結構多彩になっていたとの事。



ベトナム時代だと車両はギョロ目のフォードM151汎用トラック(Utility Truck)となります。
これは1959年から製造が始まったアメリカ軍の新型汎用車両で、
第二次大戦と朝鮮戦争で活躍したウィリス社によるジープの後継車両なんですが、
こちら車両も、先代と同じ名前、ジープの呼称で呼ばれる事が多いです。本来は別物なんですけども。

個人的にはウィリスジープの方がずっとカッコよく、どうもれこは好きになれませぬ。



ついでにさすが空軍博物館の展示、という細かい部分を。
爆弾の先端の信管で、これが付いて無いと爆発しません。
が、そう簡単に爆発されたら危険なので安全ピンがついてます。
それをどうやって空中で外すのか、というとこのように安全ピンにワイアを結び、その反対側を胴体に繋げます。
この状態で爆弾を投下すれば、ワイアでピンが引っ張られて自動的に外れるわけです。

ただし、これ第二次大戦時には確かに普通だったんですが、まさかベトナム時代まで
こんな原始的な装置がまだ使われていたとは思わず、ちょっと驚いたのでした。


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