■ミグがやってくる



ミヤコン グレビッチ Mig-17F。
Mig-15の後継機で、朝鮮戦争開戦の年、1950年に初飛行していたものの、
その当時は数が揃わず、実戦投入は見送られた機体。
よってアメリカが初めてこの機体とまみえる事になったのがベトナムの空だったのです。
1964年2月ごろから北ベトナムでの配備が始まってますので、
その年夏からのアメリカ介入時にはすでに投入準備が整っていました。

なんかMig-15そのまんまじゃん、という気もしますが、主翼の後退角が大きくなり、
胴体も1.2mほど延長されてるので、上下から見ればある程度の識別は可能です。
が、逆に言えば、それ以外の角度から両者を見分けるのは至難の技でしょう。
ちなみにエンジンはアフターバーナー付きなんですが、音速は出ません。
(イギリスエンジンからの発展型なのでリヒートと言うべきか)

ベトナムのミグというとMig-21の方が印象が強いですが、アメリカ参戦から4年近く、
実際に北ベトナム軍で主力だったのはこのMig-17の方でした。
1968年以降はさらに双発のMig-19が投入されてきます。
ちなみに北ベトナムのパイロットの一部は、Mig-21より機動性のいい、この機体を好んだという話もあり。

当時、まともな制空戦闘機を持って無かったアメリカ空軍は、すでに旧式の部類に入りつつあった
このMig-17にもかなり手を焼いています。
アメリカ側の記録で確認できる範囲内でも、空軍のF-4ファントムII が8機以上、
空軍の主力機とも言えるF-105も最低8機、計16機がこの機体に落とされたと見られてます。
一方でアメリカ空軍の主張するMig-17の撃墜数は61機で、
だいたいこの手の数字の実態は半分以下、と考えると実数は30機以下、
となると、損失撃墜比はだいたい30:16ですから、2:1という所で、北ベトナム空軍が
世界最大の大金持ち空軍相手にかなり善戦していたのがうかがえます。
ちなみにMig-17は中国でも生産が行われおり、
J-5と呼ばれた中国製の機体も北ベトナムは運用してました。

展示の機体は1986年にエジプト空軍から贈られたのを、北ベトナム空軍塗装にしてしまったもの。



ミヤコングレビッチ Mig-21PF。
朝鮮戦争終結後の1956年に初飛行した機体で、
ベトナム戦争の代名詞とも言えるソ連製の戦闘機でしょう。

当時のアメリカ空軍が核戦争とミサイルの時代に空中戦なんて、
という発想で直線番長な性能で造られてたのに対し、
この機体は驚くべき運動性を持ってベトナムの空に現れ、それらを圧倒します。

ちなみに第二次大戦後、何度も何度も(笑)アメリカ空軍は、今後はミサイルと電子線の時代で、
ドッグファイトなんて時代遅れと主張してますが、その度に実戦で痛い目に合ってます(大笑)。
ちなみにそのうち一回は、そういった主張にだまされたイスラエルのF-15が経験する事になりました。
1979年6月、シリア空軍のMig-21との空中戦に入ったイスラエル空軍のF-15(これが実戦デビューとなる)が
アメリカ軍の連中が絶対大丈夫と保証してたスパローミサイルを発射してみると
見事に全弾外れる、という事態に直面、予想外のドッグファイトに巻き込まれています…
(それでもF-15の性能のおかげで圧勝したが)

話を戻しましょう。
ベトナム戦争中、Mig-21にやられたと見られているアメリカ空軍の戦闘機は
F-4フファントムII が最低でも33機、F-105が15機、の計48機。
対してアメリカ空軍の主張するMig-21の撃墜数は68機。
例の自軍の撃墜主張はせいぜい半分の法則を適用すると、実際はMig-21の圧勝だった可能性が高いです。
(ちなみにアメリカ空軍には戦闘機以外の損失が2機ある)

当時のアメリカの最新鋭の戦闘機、F-4ファントムIIでも互角に持ち込むのが精いっぱいで、
高度3500m以下の低空、あるいはマッハ0.8以上の高速戦闘、という条件以外では
Mig-21に対して完全に劣った運動性しか持っていませんでした。
絶対優位に立てるのは遠距離からのスパローミサイル攻撃ですが、
既に述べたように、このミサイルの信頼性はそこまで高くなかったので、キツイのです。
(そもそも参戦当初は事実上、スパローの運用は禁止されてた)

ちなみに第三次中東戦争でMig-21の性能に驚いたイスラエルは速攻でモサドを通じて
これを手に入れるという離れ業をやっているのですが、
その試験飛行では、運動性の高さに素直に驚いています。
が、同時にあまりに航続距離が短い、という欠点も発見しており、
これがMig-21の弱点である、と判断されました。

ちなみに展示の機体は初期のMig-21ですが、なぜここにあるのかの説明は一切なく、
どこのどんな機体なのか、全く不明となってます。



ベトナムといえばこれ、ベルUH-1P イロコイズ。
実際は非公式の愛称、ヒューイの方が有名で、後にはこっちが正式名称扱いされてます。

UH-1は陸軍がベル社に開発させた汎用ヘリですが、アメリカ国内のICBM基地の連絡用に空軍も採用、
その後、これを救難、連絡用としてベトナムにも持ち込みました。
多くの極秘作戦にも参加してる、と説明されてましたが、どんな作戦かは記述無し。

ちなみに元々はHU-1という名だったのが、空軍と名称統一のためUH-1になったのですが、
なんで前後ひっくり返しただけ、という変な命名になったのかはよく判りません。



セスナYA-37D ドラゴンフライ。
これも非公式愛称のスーパー トゥイッティーの方が有名でしょう。
この機体もCOIN機の一つで、もともとはジェット練習機セスナT-37を改造したもの。

例のフロリダのエグリン基地でベトナムで使う攻撃機を探していた連中が、
練習機のT-37を改造すれば攻撃機に使えるんじゃない?と言い出して開発された機体です。
展示の機体は2機造られた試作型の中の1機。

ここから最初の先行量産機A-37Aが25機前後造られ、実戦試験のためベトナムに送られます。
さまざまな攻撃任務に投入され、損失はないまま無事試験は終わり、実用試験に合格した形になりました。
ただしその報告によると、コクピットに装甲付けて機体強度を上げて、
その重量増に対応するためにエンジンももっとパワーが要るよ、そこら辺りを改修したら使えるよ、
といった内容で、それって事実上のダメ出しじゃないの?という気もします…。

結局、それらの勧告を受けて徹底的に改造されたT-37B型が採用されるのですが、
アメリカ軍では本土の訓練、および州軍に配備しただけで、
後は南ベトナム空軍、そしてタイ空軍などにばら撒かれて終わります。
まあ、COIN機ってのは、そもそもそういう貧乏空軍向けの機体ですからね。


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