■それ以外の機体もやってくる
フェアチャイルドC-123K プロヴァイダー。
短距離突撃輸送機(Short-range
assault
transpor)というスゴイ分類の小型輸送機。
その名の通り、十分整備されてない前線地区の仮設空港などに強行着陸して、
物資や兵員を送り届ける、という機体でした。
このため、悪路でも折れない短くて頑丈な脚、そして短距離離着陸性能に秀でた機体となってました。
もともとはチェイス社が強襲型の金属製グライダーとして開発していた機体に
エンジンを付けて輸送機とした機体でした。
それが会社ごと買収されてフェアチャイルド社に開発が移ったものらしいです。
一見すると双発レシプロ機に見えますが、実際はその横に小型のターボジェットエンジンが付いてるので、
双発レシプロ+双発ターボジェットとなってます。
ちなみにレシプロエンジンはあのR-2800でして
、この第二次大戦期の傑作エンジンはベトナム戦争でも現役だったのです。
ついでに悪名高きCIAがラオスで運営したアメリカの国策航空会社、エア アメリカでも使われたため、
怪しげな極秘任務で前線に飛ぶ機体、という印象がある輸送機ともなってます。
展示の機体もベトナムで実戦をくぐり抜けて来たもので、作戦中に受けた弾痕を塞ぐために
600か所以上のツギ当て修理がされてる、という壮絶なものだとか。
このため愛称はPatches、パッチス、ツギ当て、だったとのこと。
デ・ハビランド C-7Aカリブー。
カナダのデ・ハビランド社が開発した短距離離着可能な小型輸送機。
これもまともな空港設備が無い前線地区で運用可能な機体であり、
サイズ的にも上のC-123とほぼ同じなんですが、貨物搭載量などは小さめになってます。
だったらC-123だけでいいじゃん、と思ってしまうところですが、
カリブーはもともとはアメリカ陸軍が独自に運用していた機体だったのです。
それが1967年1月にアメリカ軍内で決定された、固定翼機は全て空軍の管轄とする、
という取り決めに従って空軍へと譲られた機体となっています。
C-7という呼称も空軍の管轄になってからのもので、陸軍時代はCV-2と呼ばれてました。
このためC-123とC-7Aは似たような機体ながら並行して
ベトナムで運用される事になったらしいです。
ちなみに固定翼機は空軍で運用、という話は、ベトナム戦争の副作用の一つでした。
参戦してみたらロクな対地攻撃機を持って無かった空軍に対して陸軍の怒りが爆発、
だったらオレらが独自に対地攻撃機を持つぜ、という動きを始めたのがきっかけでした。
驚いた空軍がこれを牽制、さまざまな政治的な動きの末、この決定となったのです。
この一連の動きの中で、陸軍は“まともな地上支援航空戦力”として武装ヘリ、
AH-1コブラなどの開発(1965年9月初飛行)に着手する事になります。
さらにこの後も陸軍は固定翼機の導入へ牽制を続けたため、
それに対する対策として空軍が開発したのがあの傑作機A-10でした(冷戦編で登場)。
A-10は空軍の優れた認識から生まれたものでは無く、
自らの領域を荒らされるのを嫌った空軍がシブシブ造った機体だったのです。
あれが傑作機になったのはスプレーとボイドの活躍によるもので、
多分に幸運だった、と思っていいでしょう。
ダグラスB-26K カウンターインベーダー。
朝鮮戦争編で出て来たB-26のベトナムバージョン。
ややこしい事にこの戦争中に呼称がA-26に戻されたため、
途中からはA-26カウンターインベーダーとなります。
先にも書いたように第二次大戦世代の機体なんですが、なにせアメリカ空軍には
まともな地上攻撃機が無かったため、ベトナムにまで投入される事になったのでした。
この辺りの決定は、すでに何度も説明してるエグリン基地の対策研究で行われたものです。
実はこの段階ですでにB-26は全機退役済みで、それを引っ張り出してきてベトナムに投入したのものとなっており、
空軍の対地攻撃事情がいかにお粗末だったかがよく判るかと。
ただしさすがに無茶だとわかっていたので、主翼から胴体まで各部が補強改造された上、
翼の端には燃料タンクまで追加されてるので、ほとんど別の機体になってしまったようですが。
展示の機体も実際にベトナム戦に投入された後、1980年に自力でこの博物館まで飛来したものだとか。
ダグラスRB-66B デストロイヤー。
これもマイナーな機体でしょう。
攻撃的な愛称と本来なら偵察機を意味するRの字を持ちながら、
実は電子戦機で、敵レーダーの探知、分析、そして妨害を主な任務にしてました。
でもってこの機体も元は海軍機でした。
空母から運用される戦略爆撃機という、本気で言ってるんですかそれ?という妙な艦載機、
ダグラスA3Dスカイウォーリアーから改造されたもの。
ちなみにA3Dは現在に至るまで、空母から運用された最重量の機体でもあります。
(通常の離陸重量で約32t、最大離陸重量で37t
で第二次大戦時のB-17を上回る重さ。
この辺り、アメリカの原子力空母の凄さがわかる)
なぜかこれを空軍が1956年からB-26インベーダーの後継機として
採用を決定(ただし大幅な変更を加えてる)、
ただし実際に導入された機体はほとんどが偵察機と電子戦機に改造される結果になったもの。
そもそもすでに見たようにキャンベラがB-26の後継機として採用されており、
なんでまたわざわざ海軍の爆撃機まで採用したのかは全く判りません。
海軍機を空軍に押し付けまくったマクナマラ国防長官就任よりはるか前の採用ですから、
完全に空軍自身の意思によるもので、何考えていたんでしょうね…
ダグラスとの癒着かなあ…
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