■混沌の空を飛ぶ機体



ノースアメリカンF-100Fスーパーセイバー。
100番台のFナンバーを持つ戦闘機、いわゆるセンチュリーシリーズの最初の機体。
ノースアメリカン製でこの名前、という事から判るように、F-86セイバーの後継機として開発されたのですが、
すでに核戦略空軍となっていたアメリカ空軍は制空戦闘機には興味がなく、
この機体も後に戦術核爆弾を搭載できる戦闘爆撃機に変更される事になります。

ついでに世界初の水平飛行で超音速が出せた実用戦闘機でもあるのですが、
(アフターバーナーによるので時間制限あり。この点はF-22以外のほとんどの戦闘機で今でも変わらないが)
それ以外の性能がパッとしなかったのもまた事実で、この時代の米軍機にはおなじみの、
欠陥機でないの?と思えるような部分もあった機体でした。
ちなみにP-51の設計責任者であり、F-86の開発の全体も指揮したシュムードが
同社を去ったのは、この機体の開発に関して彼の忠告が受け入れられなかったから、という話もあり。
そしてP-51、F-86とアメリカの主力戦闘機を生み続けて来たノースアメリカン社にとって、
これが最後の正式採用された戦闘機となってしまいます。

ついでに当サイトではお馴染みジョン・ボイドはネリス基地で空戦教官を務めていた時、
40秒以内に模擬空戦で勝つ男として40秒のボイド(40 second Boyd)と呼ばれていたのですが、
彼が搭乗していた機体が、当時最新鋭だったこのF-100です。
ちなみにボイドはこの機体で事故を起こして責任を問われた時、機体の欠陥だと主張、
後にこれを見事に証明してしまい、F-100欠陥機説の一翼を担いました…

展示のF型は複座の練習機で、当初、製造計画がなかったらしいのですが、
欠陥機疑惑があるうえに、操縦も難しい機体だったため、その訓練用に急きょ造られたもの。
ちなみに訓練型と言っても複座になったほかは機銃が4門から2門に減らされただけでした。

F-100も1965年からのアメリカ空軍のベトナム参戦に投入されるのですが(64年の作戦参加は海軍機のみ)、
1953年5月初飛行とすでにやや旧式だったうえに、そもそも性能がイマイチだったので、
速攻でミグに(しかも21ではなく17にですら)圧倒されてしまい、一線からは引き上げられました。

ただし本来なら練習機である複座のF型の後席を無線手やレーダー手用に改造した機体が
例の前線航空管制(Forward Air Cotroller)、すなわちFAC任務に、
さらには対空ミサイル基地制圧用のアイアンハンド任務に投入されてました。

ちなみにF-100Fの場合、単なるFACではなく、高速(High speed)FACで、
霧隠れの航空管制(Misty FAC)の名で呼ばれてたそうな。
ついでにアイアンハンド任務は、後にワイルド ウィーゼル部隊(後述)へと発展して行く事になります。

展示の機体は実際にベトナムでFAC任務についていおり、
後に空軍参謀総長になった人物が乗っていたものだそうな。



マクダネルRF-101C ヴードゥー。
ちなみにこの機体、めちゃくちゃ撮影しづらいライティングの展示になってたんですが、
どうも電球がひとつ切れてたんじゃないか疑惑在り…。

センチュリーシリーズ二番目の機体であり、
当初は低空進入用の戦術核爆弾搭載の高速戦闘爆撃機として開発されていた機体でした。
(冷戦編で登場するF-84Fの後継機だった)
が、この計画は途中で放棄されてしまい、すでに生産に入ってたF-101Aは宙に浮いてしまいます。
本来ならそれで終わり、のはずなんですが、なぜか高速偵察機に機種変更されて生産が続行されたのでした。
それがこのRF-101Cなんですが、先に造られた戦術核爆撃型も使い道が無いので偵察機にされ、
こちらはRF-101Bの形式名称を持つようです。
ちなみにこれらは世界初の超音速偵察機でした。

ついでにF-101には複座の練習機、そして全天候型迎撃機として使われた型もあり、
結局、どうも空軍も何に使っていいかよく判らなかったんじゃないか、という気がします。
最終的にはほとんど全部が偵察機に改造されてしまったようですが…

でもって、これまた事実上の欠陥機で(涙)、大きく迎角を取るとそのまま機首上げが止まらなくなってしまう、
するとエンジンに空気が入らなくなってエンジン停止が発生する、という恐ろしい欠陥がありました。
これに対して空軍が取った対策は“とりあえず真っすぐ飛べ”と指示を出すだけ(笑)、
という辺りが、この時代の狂ったアメリカ空軍らしいところです。
(離着陸よりも戦闘時の急旋回時の方が大きな迎え角となるので、これを避けた)

展示の機体は1957年の大陸横断速度記録飛行、ニューヨーク〜ロサンジェルス間を飛行する
サン ラン作戦(Operation Sun Run)に参加した中の1機であり、
さらにキューバ危機の時はキューバ本土への偵察飛行に参加、
その上でベトナムにまで派遣されていた、という歴史ある機体だそうな。

ちなみに太陽走り、という妙な作戦名は地表に対する太陽の移動速度と同速度で飛ぶ、
という意味で、実際、平均1300q/hで飛んでますから
機上から見る太陽の位置は常にほぼ同じままだったと思われます。
(1300q×24=31200qでニューヨークの北緯40度における地球周回距離にほぼ等しい。
Cos40度×40000q=30640q。ただし到着地であるより南のロサンジェルスを基準とするとやや遅い)
でもそれって要するに地球の自転速度で飛ぶって事ですから(逆走だけど)、
自転と共に走る、といった方がよほど判りやすい気がしますけどね…

ついでにアメリカ空軍はここぞとばかりにF-106を除くすべてのセンチュリーシリーズを
ベトナムの空に投入するのですが、F-105以外は全て事実上使い物になりませんでした…



マーティンB-57Bキャンベラ。
マーティンとなってますが、言うまでもなく中身はイギリス製の爆撃機、
イングリッシュエレクトリック社のキャンベラです。
1949年に初飛行していたこの英国製ジェット爆撃機をアメリカ軍は高く評価、
B-26インヴェーダーの後継機に採用してマーティン社にライセンス生産させたのでした。
もっともそのB-26も再びA-26に名前を戻して地上攻撃としてベトナム戦争に参加してるんですけどね…。

戦術爆撃機なんですが、何度も言ってるようにまともな地上攻撃機を持たなかったアメリカ空軍は、
これを近接航空支援(CAS)任務、さらには夜にこっそり移動するベトコンのトラックを
狙い撃ちにする夜間攻撃などに投入してました。
結構、無茶するなあ、という感じです。

ちなみに展示の機体もベトナムで実戦投入されていたものだとか。



ノースアメリカン ロックウェルOV-10Aブロンコ。
海兵隊と空軍で使用された機体です。

いわゆるCOIN機と呼ばれる機体のひとつで、COunter-INsurgency(対反乱軍)、
でCOINだんそうですが、これもアメリカ軍らしいダジャレでしょう。
COINにはスラングでやられたらやり返す、といったニュアンスがあります。
(Pay back in his own coin)
安価で、大した対空兵器を持たない敵に対する攻撃機、と思っておけばいいのですが、
残念ながらベトコンはちょっとした対空装備を持っていたのです…。

基本は二人乗りですが、胴体後部には貨物スペースもあり、
ちょっとした貨物、そして5人までの兵員の輸送も可能でした。
尾部は空中でも観音開きで開くので、パラシュート降下もできたようです。

1965年に初飛行、1968年には速くもベトナムに持ち込まれましたが、
空軍が実戦投入してみたら、ベトコンの対空火器でも十分な脅威となってしまい、
地上攻撃任務にはほとんど使えない事が判明します。
このため、結局これもFAC任務、特に低速のFAC機として使われたほか、
偵察、輸送ヘリの護衛などに投入されたらしいです。


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