■ドイツ空軍軍団



そして事実上の人類初の宇宙ロケット、V-2弾道ミサイル。
一段式ながら余裕で大気圏外、高度100q以上まで飛んで行けたので人類初の宇宙ロケットでもありました。
(ただし一部で有名なV-2で撮影された宇宙から見た地球の写真は戦後、アメリカ軍が撮影したもの。
ミサイル、弾道ロケットとしてではなく垂直に真上に飛ばせば200q近くまで到達できたとされる)

弾道ミサイルはドカンと巨大な放物線を描いて数百キロ先まで飛んでゆく爆弾、と思えばほぼ間違いないです。
これをドンドン巨大な放物線にしてゆけば、地球の裏側まで届く大陸間弾道弾、ICBMとなります。
そのご先祖、と言っていいのがこのV-2ミサイルとなります。
ただしその射程は最大でも200マイル前後(約320q)というところでしたが。

技術的な面の開発の中心に居たのがフォン・ブラウンで、かれは終戦間近にナチス親衛隊の監視を突破、
開発の中心メンバーと共にアメリカ軍に投降、そのままアメリカに渡ってしまいます。
(といっても彼自身が親衛隊の士官でその立場を利用したのだけど。
後にこの元親衛隊という経歴は最後まで彼の汚点として付いて回る事になる)

当初はアメリカのロケット開発の主流とは言えないような立場だったのですが、
後にソ連の人類初の人工衛星、スプートニクショックでアメリカが慌てた時、
彼の開発チームがアメリカ国内のロケット開発競争に勝利したため、以後、その開発を主導して行きます。
ブラウンは最終的にアポロ計画で人類を月に送り込むのまで成功させてますから、
あらゆるロケットのご先祖、ともいえるのがこのV2なのです。

ちなみに終戦直前、1944年9月に実戦投入、1945年3月には運用が終わっており、わずか7カ月の運用でした。
このため終戦末期の泡沫兵器、という印象がありますが、それでも6000発近くをドイツは生産してます。
ただし実際に発射でき、地上まで到達したのはその半分以下と見られてますが。

アメリカ軍は終戦時にこれを工場で大量に押収したため、展示のこれも多分ホンモノ。
搭載してるのは移動用の車台、そして発射台にもなるトレーラーで、
どうもこれもホンモノらしく、貴重なモノでしょう(オーストラリアにもう一台残ってるはずだが)。

このトレーラーをトラックでけん引し、好きな場所に移動後、
V-2を固定してる台座は右側に立ち上がるようになっており、そのまま発射してしまえました。
この移動式発射台は固定の発射基地と違って発見補足がやっかいで、
アメリカが制空権を奪った後も、連合軍の地上戦力がドイツ本土になだれ込むまで、
その発射を完全に防ぐ事は出来なかったのです。

展示のV-2の塗装は実戦投入後のモノ。
この兵器にとって、もっとも恐ろしいのは地上にある間に空から発見され、破壊される事で、
このため上空から見つけにくいように、地上用迷彩が施されてます。
発射してしまえば、補足、撃墜は当時では不可能でしたから。

ちなみにスミソニアンやロンドンの科学博物館にあった白黒の幾何学模様塗装は試験段階で、
ロケットの動きを地上からよく観測できるように描かれたものでした。
撮影フィルムを見て、ロケットがどの向きに回転してるのか、などがすぐ判るようにしたのです。
なので、実戦投入後はあんな塗装はやってません。



これもドイツのステキ兵器、無線誘導爆弾、フリッツX。
旅行記では何度も解説してますから、もういいですね(笑)。

航空機から落とす無線誘導爆弾であり、1.4tの徹甲弾となってますので、対艦、対要塞用のものでしょう。
確かにスゴイのですが、代表的な実戦投入成功例が1943年9月、
降伏した後のイタリアの戦艦ローマの撃沈、戦艦イタリア(旧リットリオ)の撃破、
というあたりが微妙と言えば微妙な兵器。



こちらもすでに散々解説したドイツの秘密兵器、誘導空対空ミサイルX-4。
大戦末期に開発され、実験までは漕ぎつけましたが実戦投入はされてません。
安定翼が木製の辺りが末期のドイツ兵器っぽいですね。

ただし誘導と言っても目視で人力、しかも有線で6000m近いワイアを繋いで発射する、というものでした。
(ただし有効射程距離は2500m前後)
発射後は戦闘機のパイロットが、ジョイスティックを使って誘導します。
そんなん当たるのかい、と思ってしまいますが、ほとんど直線飛行で飛んでるB-17などの戦略爆撃機には十分有効で、
そして彼らが最も撃墜したかったのが、そういった戦略爆撃機だったのです。
ちなみにレーダーでは無い近接信管という妙な技術も使われていて、
これは特定の周波数の音波に反応して爆発するようになってました。
このミサイルではB-17のエンジン音に近い200Hzの音波に反応するようになってたとされます。
これも確かにドイツの超兵器、ではあります。



ドイツ空軍で開戦から終戦まで主力戦闘機だったMe-109のG10型。
手前の人物はなれなれしい見学者ではなく、この博物館で時々見られる必要ないだろう、というマネキン。
こういうの、邪魔だからやめてくれないかなあ…。

ご覧のように極めて小さいのがMe-109の特徴でした。
かなり重くなった後期のG6型のデータでも
離陸重量でせいぜい約3.4tと欧米の機体の中ではまだ軽く、
(P-51Dムスタングだと4.4t、Fw190Aで3.9t、スピットファイアのMK.IX(9)がほぼ同じ)
その小型、軽量の優位を利用して戦う戦闘機だったんだろうなあ、と思います。

末期型ともいえるG型はいろいろバリエーションがあったため、よく判らんので詳しい説明はパス(手抜き)。
10は確かエンジンをDB605Dにして、速度を上げた機体だったかと。

展示の機体、アメリカ軍が鹵獲し、このライトフィールドでテストをしたもの、というのまでは判るのですが、
そのまま空軍が保管していたのか、そもそもどこで鹵獲されたのか、などは不明。
、やや窓枠の少ない天蓋(キャノピー)、いわゆるエラ ハウベ(Erla Haube)を搭載してる
ちょっと珍しい機体ではあります。
ついでにどうも垂直尾翼が木製の大き目のヤツに代えられてるように見えますが、この点は未確認。



これももうお馴染みですね。
ドイツ末期の30o機関砲、Mk 108。
せっかくの30oのパワーを、こんな短い銃身で撃ち出したら意味がないじゃん、と思うんですが
(長時間爆発による加速が続く長い銃身の方が弾速が上がる。それは破壊力の上昇も意味する)
どうもこの30oは弾頭に炸薬を多く詰めたようで、運動エネルギ―による激突の破壊ではなく、
炸薬の爆発による破壊を目指してたみたいです。
でも、真っすぐ飛んだのか、これ、と思いますが、特に悪評を聞かないので、大丈夫だったんでしょうね。

Me-109ではモーターカノン、V型エンジンの中の筒を通って発射される機関砲として搭載され、
このためプロペラスピナーの中央にはこの機関砲のための穴が開いてます。
たしかG6型から搭載が始まってたはず。


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