■そして第二次大戦へ



イギリスの傑作練習機、デ・ハビランドのタイガー モス DH-82A。
イギリス本国、そしてカナダ、オーストラリア、ニュージーランドでの生産を
全部合わせると1万機を超える数が造られており、
このため、世界中で見かける機体ではあります。

実はアメリカは大戦中に一度、カナダのデ・ハビランドに200機の発注を出してるのですが、
生産が追い付かず、これは受領出来ずに終わってます。

その代わり、イーグル飛行部隊、開戦前にイギリスに渡ったアメリカ義勇兵パイロットは、
これで訓練を受けており、多少の縁はあるのよ、と展示には書かれてました。

ちなみに展示の機体は1998年に個人から寄贈されたものらしいですが、
詳細は由来は不明です。



ノースロップ A-17-A。
ノースロップの高速機、ガンマ シリーズから改造された、という経歴を持つ攻撃機で、
1935年に採用、1936年からアメリカ陸軍では運用してました。
ちょっと見づらいですが、主翼の下には急降下用のダイブ ブレーキも搭載してます。

ところが間もなく1938年、陸軍は攻撃機は全て多発機(2基以上のエンジンを積んだ機体)にする、
との決定を行ったため、この機体は徐々に引退を強いられ、
アメリカが参戦するころにはパナマの沿岸警備などに使われているだけとなってました。

この結果、アメリカ陸軍はまともな地上攻撃機無しで戦争に突入することになり、
後に戦闘機のムスタングから発展させたA-36攻撃機をあわてて採用したり、
戦闘機であるP-47に爆弾とロケット弾を積んで運用して行くのです。

それでもこの機体、最終的には400機以上が生産された、とされます。



B-29を超える大型爆撃機としてダグラスが開発していたXB-19のタイヤ。
実機は現存しませんから、タイヤだけでも見て驚いてね、という展示でした。
1941年6月には初飛行していたものの、いろいろ問題があって採用されずに終わった機体です。



ノースアメリカンの練習機、BT-14。
傑作練習機T-6の前身ともいえる機体で、
戦前のノースアメリカン社の経営を支えていた練習機の一つです。

そもそもは1935年の陸軍の練習機の公募に勝ち抜いたNA-64と呼ばれる機体があり、
これは鋼管羽布張り、さらにはコクピットは開放式で天蓋(キャノピー)なし、という
当時から見ても時代遅れのものでした。
アメリカ陸軍に採用された後は、BT-9と呼ばれる事になります。
その後継機として開発されたのがこのBT-14ですね。
この機体から全金属の機体に改良、さらに天蓋(キャノピー)付のコクピットを持つようになってます。

ちなみにT-6は同じBT-9からの発展型ですが、このBT-14とはちょっと発展ルートが異なっています。
この辺りは「航空機愛好機関」の所ですでに書いたので、今回は省略します。

ちなみに展示の機体はBT-14の構造を持ちますが、本来はBT-9、しかも輸出型で、
これを戦後、BT-14仕様に改造してしまったものです。
なぜかアメリカ人、こういった改造が好きで、おかげで資料性はかなり低い機体となってます
そのせいか、こんないらん小芝居の入った展示になっておりました。

ちなみに士官用飛行学校の再現展示だそうで、当時、飛行学校にはいった士官の内、
4割が卒業できずに去ることになったのだ、という展示だそうな。
思ったより落第率が高く、それでよくあれだけの数のパイロットを揃えたな、と思います。


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