■天井からの機体たち



というわけで、お次はいわゆる浜松ゼロ戦。

三菱 名古屋工場製の52型甲で、製造番号4685、43-188号機。
1963年(昭和38年)グアム島で、奇跡的にほぼ原形をとどめた機体(不時着機?)が
発見され、翌年日本に持ち帰られ、修復されたもの。
どうも米軍から自衛隊に返還、引き渡し、という形になってたようで、
国有財産であり、所有者は航空自衛隊になってるみたいです。

ただし、機体の運搬を船でなく、米軍の輸送機C-130に依頼したため、
機内搭載サイズにするため主翼を根元からぶった切ってしまった挙句、
その後、適当な修復をやってしまったため、残念ながらヒドイ現存機になってしまってます。
(溶接の困難なジュラルミン製の航空機の、しかも主桁の切断の再現は困難なのだ。
ちなみに厳密には右の水平尾翼も一度、切断してる可能性が高い)

一応、修復には三菱重工も関わってるんですけどね。

これだったら、回収時のそのままの状態で保存してくれて方がナンボかマシなのに…。
本来なら、国内に現存するゼロ戦の内、
もっともオリジナルに近い状態を維持してたハズだった機体…という事にして置きましょう。

まあ、とりあえず、雰囲気を見るだけ、と割り切れば、
それなりに意味のある機体ではありますが…。



こんな角度から見れるゼロ戦は、他にあまり無いですしね。



こちらは航空自衛隊発足当初から使われてた
ビーチクラフト製の初等練習機、T-34メンター。
1982年ごろまで現役だったはず。

日本では富士重工が120機前後をライセンス生産してますが、
一部にはアメリカ製の機体もあったようです。



こちらはその後継機、“純国産”の富士重工製T-3練習機。
尾翼のマークは、富士山をかたどった静浜の第11飛行教育団のものでしょう。

これも既に2007年に全機退役してたんですね。知りませんでした。
ちなみに、名前の通り、ジェット練習機、T-2の次に採用された練習機で、
(TはTrainer の頭文字)この次に開発された機体が、
すでに散々見てるT-4ジェット練習機となります。
ちなみに1978年初飛行ながらエンジンはターボプロップでは無く、
レシプロ、ピストン駆動のものを使ってます。

調べてみたらこの機体、50機しか作られてないのだとか。
…製造コスト、すごい事になってそうですね。

というか、これ、いくらなんでもT-34メンターそのまんまじゃないですか(笑)、
1970年代までの日本の恥ずかしい“純国産”機体たちの一つじゃありませんか(泣)。
少なくとも私は見ていてどっちがどっちだか、全く区別がつきませんでしたよ…。

ただしアメリカ機をパクったのは珍しいく、戦後の日本の“純国産機”の元ネタの多くはイギリス機で
YS-11はイギリスのアヴロ748(後のHawker Siddeley HS 748)、
T-2(F-1)は英仏共同開発のジャギュア(SEPECAT Jaguar)の外形
(ジャギュアの上から見た平面型だけで横からは似てないが)をほぼそのまま頂戴してるおります。
ちなみに両機はエンジンまでそのままという徹底的なパクリぶりで、むしろ清々しいかもしれず。


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