■来たぞアメリカ
恐らくアメリカ製と思われる火炎放射器の噴射部。
中国語だと噴火槍なのね。
こちらは日本陸軍 第18師団が使用していた司令部の印章。
いわゆる菊師団ですが、この師団は大戦末期はビルマで英軍と戦っていたはず。
なんでここにこんなのモノが?と思って解説を見ると、
1944年3月、ビルマ方面に応援に出た中華民国軍の戦車隊が第18師団の司令部を襲撃した時、
これを奪い取ったのだとか。すなわち戦利品としての展示です。
つーか、そんな事がビルマ戦線であったなんて初めて聞いたんですが、現物がここにある以上、
あったんでしょうね、そういった戦闘。
でもって太平洋戦争がはじまると、アメリカによる対中援助が本格化します。
全部無駄に終わるんですけどね(笑)。上は当初のアメリカ側責任者、
スティルウェル将軍と蒋介石夫婦の写真。
(この段階ではスティルウェルは恐らく中将。間もなく大将になるが)
キツイ性格で知られるスティルウェルは渋い顔をしてます。
この辺りは何も彼の性格によるものだけではなく、
蒋介石率いる国民党の腐敗と、その軍隊の無能さにホトホト参ってた時期と思われ、
やれやれ、という顔になったのでしょう。
この後、蒋介石と衝突し1944年半ばにはルーズベルト大統領によって本国に召喚されてしまうのですが
結局、彼が正しく、その後も中国軍は日本軍相手にあれだけの補給を受けながら勝てませんでした。
さらに戦後はその腐敗に付け込まれて共産党軍に壊滅させられる事になるわけです。
まあ、その結果、連中がここに逃げ込んできて、
独立国としての中華民国、台湾ができ、この博物館もできたんですがね。
でもって、蒋介石の堕落と不敗を見抜けなかったアメリカ政府は
中国を共産主義者に奪われた、という妙な被害妄想から
ドミノ理論に走り、全く同じ過ちを今度は戦後にベトナムで行う事になります。
有名なアメリカ義勇兵による中国空軍部隊、フライングタイガースの写真。
後ろはおなじみP-40。
義勇軍と言っても機体は全て米軍からの供与で、さらに実際の参戦は
真珠湾の後、つまり正式な宣戦布告後、になってしまったため、
イマイチ、微妙な存在なんですが、
それでもアメリカによるプロパガンダもあって、一躍、有名になってしまいますね。
余談ですが海兵隊のナンバーワン エースパイロット、ボイントンは一時、
この陸軍系の部隊に籍を置いていたことがあり、意外に多彩なメンツが在籍してたようです。
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