■北の門から



そこには北側の門、北門があります。

ちなみに、今回改めて調べて気が付いたのですが、
実は台北城の城門、南側だけは二つあり、先に見た小南門のずっと東側に、
南門がもう一つあるんだとか。
残念ながら、東門と同じく、これは今回見てません。

でもってこの北門、すでに見た小南門とまるでデザインが異なりますが、
実は、これが正しい台北城の城門の姿となります。
戦前の写真で見る限り、他の門もこういった形状だったようです。

戦後に国民党が台湾を掌握した後、各門の修復をしてるのですが、
この時、この北門以外は修飾だらけの派手な形状に変えてしまい、
台座部以外は、ほとんど別物、といった建物にされてしまったのだとか。

なので当時の状況を維持してるのは、この北門だけだそうで、
そういった意味では貴重なんでしょうね。
これは国指定の史跡なんですが、改造されてしまった
他の三つの門も同じ指定を受けてるようで、この辺りの指定基準はどうもよくわかりませぬ…



近くで見るとこんな感じ。
蘇州で見たような中華城門に比べるとオモチャみたいに小さいですが、
当時の台北なんて離島の片田舎の城塞都市に過ぎませんから、こんなもんなんでしょう。

ちなみにこの城門だけ現状を維持してる、というのはよほど大切にされていたのか、というと
そうでもなく(笑)、以前は周囲を立体交差の道路が取り囲んでおり、
周囲からは全く見えないような状態だったとの事。

近年になって、景観保護の観点から、これらの道路を取り払い、こういう状態に戻したのだとか。
景観保護を利便性より優先する、という辺り、台湾、意外に大人な国だなと思う。
この点はよほど自慢なのか、あちこちでその工事過程の展示を見ましたし、
テレビではその撤去工事を紹介するドキュメンタリー番組を放映してました。



なので小南門にはなかった城門の扉がこちらには残ってます。
左右から閉める観音式扉にも見えますが、天井に穴が見えるので
中国式城門によくある、上から分厚い板を落としてフタをしてしまう、
という形式の可能性もあります。

ちなみに左手前にみえてる測量用の基準点、かなり古いもので、
どうも日本統治時代のもののようです。



そこから見えた台北駅。
となると小南門からここまで、台北中心部を南北に縦断してしまったわけです。
いろいろ見ながら、さらに食事までしたのに、徒歩1時間半前後で南北縦断してしまってますから
あれま、狭いですね、台北市街中心部。

ただし、先にも述べたようにここは線路が全て地下に埋められてるため、
当初、駅とは気が付かず、体育館か音楽ホールだろうか、と思ってました…



その北門の南東にあるのが台北郵局で、台北の中心的な郵便局らしいです。
ちなみに、これも日本統治時代の建物でした。
1929年ごろ、すなわち世界恐慌直撃直前の昭和期の建物で、
台北市が指定する建築史跡になってるようです。

よく見ると一番上の四階だけ色が違うのが判りますが、
元は三階建てで、一番上の階は、戦後に増築されたものだとか。
言われてみれば、窓の作りとか、ここだけ微妙に安っぽいのが見て取れます。

でもってこの辺りから天気が回復して来ます。
フフフ、やるじゃん、オレの晴れ男力。


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