■軍人さんいらっしゃい



確かにそういった資料を集めた施設のようですな。
で、注目は3階、漫画屋、英語でComic room。
え?何それ、見たい見たい、と思ったんですが、なぜかここ閉館中。
月曜日と祝日が休館と書かれてますが、本日はどちらでもない。
時間ももう11時過ぎですから、開館時間は過ぎてる。

ええ、なんで?と思うも、開いてないモノは仕方ない。撤収としてましょう。
ちなみに、最終日に再度ここを訪問、漫画屋の見学には成功する事になります。
なので後にまた紹介しますが、結構、びっくりするような施設でした。



その隣にはこんな建物が。
三軍軍官倶楽部とあり、軍人向けの施設のようですね。

台湾は、大陸を追い出された蒋介石率いる国民党政府が渡って来て、
1949年に台北に首都を移した直後から1987年まで実に37年間、
戒厳令下、すなわち戦時体制にあった異常な国です。
(期間的には世界最長記録では?)

国が軍優先の体制に37年間もあったわけですから、
その間、当然のように軍が政治的に大きな影響力を持ってました。
これは蒋介石が死んだ後、1975年以降も続きます。
その跡を継いだ息子の蔣経国の時代の末期、1987年まで
国全体が戒厳令の下にある、という異常な国家状態だったのです。

すなわち当時の台湾はまごう事なき軍部の力を使った独裁国家であり、
よって軍は政治の中心に食い込んでおりました。
国民の支持が無い独裁者の権力のバックには軍事力が必須ですから、
まあ、当然そうなってしまいますね。
その結果、この官庁街には、こういった軍の施設が集中する事になったわけです。
(ちなみに国民の支持をある程度得ていたヒットラーが軍部と対立したのは独裁者としては珍しい例。
それでも気が気ではなかった証拠がナチス党親衛隊の軍事組織化だろう。
ついでにスターリンは軍部に気を遣うのではなく、上層部を皆殺しにして強引に自らの指揮下に置いた。
20世紀を代表する独裁者二人が軍の支持を当てにしてない、というのは興味深い部分ではある。
だからこそ世界最強の独裁者だったのだが。ちなみに毛沢東は結構、軍に気を使ってる)

その後、戒厳令が解除され、蔣経国が死に、
さらに生まれついての台湾人であり蒋介石とは何の血縁もない、
李登輝が総統に就任する1990年になって、
ようやく台湾はまともな民主主義国家の道を歩き始めた事になります。
(ちなみに李登輝は日本統治世代だから日本語が堪能だった。
北京語(台湾語ではない)より日本語の方がわかる、といった発言までしてる)

この点、韓国同様、台湾もキチンとした民主主義国家になってからまだ日は浅く、
現在の先進国に追いつくには、あと50年はかかるだろう、という国ではあります。

余談ですが、アメリカで軍の本部を政治の中枢部、
ワシントンDCから追い出してしまったのはルーズベルト大統領でした。
すでに市内に巨大な施設を建てる敷地が無い、ということで、
ペンタゴンを川の向こう、ヴァージニア州に追い出し、新たな国防省を建設させたのです。
土地が無い、というのは事実でしたが、ここら辺りは軍が政治に首を突っ込まないようにさせる、
というルーズベルトの考えもあったんじゃないかなあ、と思ってます。



そこに貼ってあったポスター。
他はわかるけど、尾牙って何?と思ったらベエゲ、と読んで台湾式の忘年会の事らしいです。
ただし旧暦で12月16日と日が決まってるそうで、その日だけの行事だけだとか。
(近年はそうでもない、という話もみたが)
中国では旧暦の日付にそれぞれ呼び名があって、牙は2日と16日の事を指し、
尾は末尾の意味がありますから、最後の牙の日、よって旧暦12月16日なんでしょうね。

ちなみに本来は商売をやってる家が、使用人に一年お疲れさま、
という意味でやる行事だったそうな。
でもって、使用人の内、お前はクビだ、という人間が居たら、
鳥の丸焼きの頭をその人の席に向けて置くのだとか。
…スリリングな忘年会やのう…。

ちなみに春酒は花見の酒ではなく、これが新年会。
中国は旧暦ですから、新年は2月以降、よって新年は春の訪れを意味するわけで。
日本語の新春も、江戸時代までの旧暦で考えれば、まさに文字通りの意味なのです。

こうして見るとここは軍人用の倶楽部、福利厚生施設の一種であり、
軍官は士官以上の軍人の事を指しますから、
かつての日本海軍の水交社みたいなものなんでしょうかね。



でもってその横になんだか近代的な建物があり、大砲とかが並んでる。
あ、ひょっとしてこれが噂に聞く台湾の軍事博物館か。



そこの展示で日本軍の砲弾、と書かれてましたが、奥のはどう見ても航空爆弾ででょうね。
そのほかの大砲とかはそれほど興味深いものでもないので、紹介はパス(手抜き)。


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