■夜の街
そこから外に出ると、かなり暗くなってました。
ここで何気なく上を見ると、あれ、看板が読める(笑)!
いつの間にオレはタイ語の能力を身につけたんだと狂喜しかけましたが、
よく見りゃ全て日本の看板でした。
なんだこりゃ(笑)。
バンコクで日本語はファッションとはいえ、これはやりすぎ、と思って、
ホテルに帰ってからネットで調べてみたら、
この一帯はタニヤという地域で、日本人向けのお店が集中してる歓楽街なんだとか。
なるほど、それでさっきのビルもあんなだったのね。
どうもシーロムの駅から南に向けて、日本人向けの歓楽街タニヤ、
夜店がズラリと並ぶパッポン、そして男色街、
とどめが我がホテル、という順に並ぶようです。
…いやはや、スゴイ場所に宿を取ってしまったのう…
ついでに右端にセブンイレブンの看板が見えてますが、
タイのコンビには7割がセブンイレブン、という感じでした。
セブンイレブンは現在日本資本の会社に変わってしまってますから、
これも日本資本の進出でしょう。
実際、日本式のコンビニで、ソウルや香港のような
小型店舗主体ではなく、それなりの広さを持って、
品揃え豊富な店が多かったです。
この一帯にキレイなお姉さんが呼び込みやってる店は集中してました。
この店の外にズラリと出てお客さんを呼ぶ、というのが
タイのキャバクラ(?)のスタイルみたいですね。
彼女らのカモは日本人のはずなんですが、私は貧乏臭い外見が幸いして、
100m前後と思われるこの通りを通過する間、一回しか声を掛けられず。
ククク…自分の秘めたる能力が怖いぜ…
……………
…大丈夫、泣いてない、泣いてないから…。
ちなみに、バンコクにこういった歓楽街が発展したのは
ベトナム戦争中、アメリカ兵がここで休暇を過ごすようになったから、
と説明される事が多いですが、半分だけ真実で、
残り半分は、バンコクは元々こういった街なのです。
太平洋戦争開始直後、タイが枢軸側につくと、
日本陸軍は例のドンムアン空港に97式重爆を持っていた
第5飛行師団の第14戦隊を派遣しています。
この時、ドンムアンに派遣されたパイロットの手記を読むと、
仲の良くなったタイの将校に連れられてバンコクに行ったら、
裸踊りをやっていてビックリした、と書かれてますので、
その時代から、こういった歓楽街はあったと思われます。
仏教にもその五戒の中に姦淫する無かれ、の警告はあるんですが
キリスト教世界よりおおらかなのは
東アジア全体を眺めると、よく理解できますね(笑)。
余談ですが、1942年前半当時は1円で0.6バーツのレートだったそうで、
興味のある人は消費者物価指数で換算してみたくださいませ。
ついでに当時は国ごとのレート差が大きく、円の外貨換金で大もうけした
軍関係者も居たと聞きますが、詳細は不明。
何度か書いてますが、アジアの場合、日本料理といえば
スシよりラーメンでして、日本におけるパスタ屋的な
ちょっと気取って食べに行く麺料理、という地位を築いてます。
バンコクも例外にではないのですが、この地区は特に多かったです。
この店の場合、あきらかに日本人向けなのか、
日本語とローマ字表記しかありません。
横浜家系ラーメンとか、タイ人には通じ無いだろう、
という看板からしても日本人相手に特化してるのかも。
ただし、チャイナタウンの華僑を中心に
漢字を読める人は意外に多いようで、そこら辺りも計算に入ってるんですかね。
ちなみに値段は140バーツ(約490円)前後
現地の感覚だと1200〜1400円と、これも安くはありませんから、
地元の人はほとんど来ないんじゃないかなあ。
その先に会った豚骨火山なるラーメン屋さん。
熊本出身なんでしょうか。
これも日本人向けっぽい印象がありますね。
その先にはこんな店まで。
ここまで来ると、さっきオレが降りたのは実は伊丹空港だったんじゃないか、
もしかしてバンコク行きって騙されたんじゃないか、という気がしてきます…。
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