■なんだかいろいろんなものがある



これは先に見た涅槃仏の拝殿の裏側。
中で寝ちゃってるんだから、ここまで屋根を高くしなくてもいい気がしますが、
宗教施設ですから、建物にも威厳が必要なんでしょうか。



境内には小さな祠がいくつかあり。

こういった感じで大きな木の根元に造られてるものが多く、
タイにもともとあったアニミズム系の宗教との融合、という印象も受けます。



そんな祠のひとつに祭られていた像。
日本だと七福神の布袋様?と思っちゃう姿ですが、中国南部の仏教では
弥勒菩薩である場合が多く、おそらくタイのこれも弥勒菩薩だと思います。

日本で弥勒菩薩というと、広隆寺の国宝、繊細なオカマバーのママ、
という感じのホッソリした朝鮮式のものが一般的ですが、
あれは中国文化圏ではあまり見たことがありません。

中国の信仰では布袋(実在の仏僧)は弥勒菩薩の生まれ変わり、
とされていたようで、このため布袋であり弥勒菩薩である、という
北極のキリスト教のようなやっかいな解釈となってるようです。

それが近代になってからは弥勒菩薩像として
一人歩きしてまった…という説が有力みたいですが、
中国の場合、毛沢東時代の暗黒期の宗教に関する記録がほとんど無く、
果たして以前からそうだったのか、共産中国以後の現象なのかはわかりません。

ちなみにタイの仏教は地理的に見てインド、あるいはスリランカから
直接入って来たのだろうと思ってたんですが、
こういうのを見ると中国の影響は予想以上に大きく、
タイ族が中国から持ち込んだのかなあ、という気もしてきました。
ただし、タイ族最初の王朝、スコタイ王朝は当初は仏教を信仰しておらず、
ここら辺りはやはりよくわからん、という部分があります。



そこで一生懸命掃除してた小さな姉妹たち。
エライなあ、と自分のいい加減な日々を反省しつつ見ていたら
二人でニコニコ笑いながら、何か話しかけてくれたのですが、
すまぬ、オッチャンはタイ語わからんのだ。

が、よく考えてみると拝観料取ってる宗教施設の中で、
掃除してる子供たちってどんな存在?という気も。
奥にお父さんらしいお坊さんが居たので、
家族連れのお坊さんが、子供に掃除させてたのでしょうか。

しかし以前の市場でみた小学生もそうでしたが、タイの子供たちは
ホントによく働くなあ、えらいなあ、と思う。
そこの日々いい加減に生きてるおっちゃんは今すぐ謝れ、と言われたら、
いくらでも謝罪の用意がございます。

といった感じで、とりあえず今回の本編はここまで。


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