■タイ国産



さて、最後はこれ。

前回少しだけ触れたタイの2人乗り国産設計機パリバトラ(Paribatra)爆撃機。
ただし現地の発音ではどうもパリバトー、といった感じになるようです。
当時の軍部に影響力があった防衛大臣の地位にあった
王子の名がまさにパリバトラ閣下らしいですので、おそらくそこから取ったものでしょう。

もっとも10年前に来たときは、ボリパトラ(Boripatora)と表記されていたので、
どうも例によっていろいろ怪しいです、この辺り(笑)。

この機体は先に見たブレゲー14の後継機として開発が始まり、
1927年7月に初飛行して10機前後がタイ空軍の工廠で造られたと見られています。

1927年というと日本ではようやく欧米機のライセンス生産、
あるいは欧米人による機体設計から日本人の設計に移りつつあった時代で、
かなり早い段階からタイは国産機を造っていた事になります。
もっとも生産数の桁が違うので、単純比較は出来ませんが。

同じアジアだと中国も少数の国産機を造ったりしてますが、
こちらは1931年からなので、やはりタイが先なのです。



後ろから見るとこんな感じ。
空冷ラジアルエンジンに合わせたのか丸っこい胴体が目に付きます。
同様に丸みを帯びては居ますが、尾翼部分はブレゲー14によく似ており、
明らかに参考にしてるでしょう。
ただ、それ以外の部分はあまり他で見た事がない構造で、
欧米の機体の設計をそのまんまパクッた、という感じではありません。

とはいえ1927年4月から設計を始め、
1927年7月には初飛行してしまった、という話ですから、
当時の常識でもちょっと早すぎるような…。
何か設計の下敷きになった機体があったと考えるのが自然ですが、
そこら辺りはどうもよくわかりませぬ。

とりあえず、この時代になると職人の勘と経験ではなく、
キチンとした構造力学と空力設計が必要になって来てますから、
これだけの機体を設計してしまったのは大したものだと思います。

ちなみに展示機のエンジンはイギリス製のジュピターですが、
生産機はワスプを始めいろんなエンジンが搭載されたらしいです。
中にはBMWのIV(4)型水冷V12エンジンを
搭載していた機体もあったとされますが、ホンマかいな…

ちなみにタイにはもう一機、
1929年にPrajadhipok(読めません…)という
単発戦闘機を完成させてますが、こちらは現存機がありませぬ。



といった感じで床上の展示は見学終了。
階段を登って、周囲にある2階、3階の回廊部に行ってみますか。

これは天井からぶら下げ展示されていたグライダーですが、
解説が見当たらず正体は不明です。



回廊部にもいろんな展示があるのですが、解説はタイ語ばかりで
展示もボロボロ、という感じになっており、正直見るものはあまりありません。
が、ここから下の機体展示を見るといろんな発見があったりするので、
それなりに面白い場所ではあります。



そんな感じで下を見ていると、あれ、さっき入口横で寝ていたおばさんが
何か黒い袋を持って颯爽と展示場に入ってきた。
とりあえず、この時は特に気にしてなかったのですが…


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