■いろんな機体があるのだ
こちらは日本機、1939年初飛行世代の
立川 99式高等練習機 、いわゆるキ-55です。
この機体にはほぼ同じ設計ながら練習機ではなく、
前線の連絡、偵察機とされた98式直接協同偵察機という機体があります。
でもって、98式直接協同偵察機は中国に現存機が一機あるので、
この機体が世界で唯一のもの、とは微妙に言いがたいのですが、
それでも99式高等練習機として現存するのはこの機体だけです。
ホントに妙に貴重な機体が多いのが、この空軍博物館ですね。
ちなみに練習機としてはごく普通な感じですが、
前線で使われる偵察、連絡機としては
下方視界が効かない低翼なのは不利だと思いますよ、これ。
ついでにこの機体、上から見ると実は後退翼だったりします。
当然、見てのとおり翼内の各桁は機体と平行、
つまり単に後ろに伸びてるだけの後退翼ですから、
別に音速突破を狙ってたわけではありません(笑)。
さらによく見ると脚の付け根の内側と外側で
主翼が別構造になってるこの設計、
ノースロップの得意とするスタイルなんですが、
それ以前にもうわかりますね(笑)。
これ、1935年に初飛行したテキサンの設計を
よく考えずにパクろうしてるだけでしょう…。
胴体下まで伸びてるスプリット式フラップの構造もそのまんまですし。
まあ、貴重な機体ではありますが、特に書くことはありません。
ついでにここの展示機の解説にはほとんど英語が付いてるんですが、
この機体にはタイ語しかありませんでした(笑)。
博物館としても興味が無いのか、
外人に読まれちゃ困るような事が書いてあるのか…
お次はフランスの第一次大戦期の機体、ブレゲー14。
2人乗りのブレゲー14には偵察型のA2と爆撃機型のB2があり、
これはどうもB2のようです。
ちなみに偵察型のA2はこれも
パリの航空宇宙博物館に展示されてました。
タイでは1922年から偵察、輸送、爆撃、患者搬送用と
えらく多岐に渡る使用目的で8機導入したのだとか。
さらにタイ初の航空郵便にも投入されてるみたいです。
そのうち数機はタイで生産された、とされますが、
部品を輸入して組み立てだけやったノックダウン生産じゃないかなあ。
この機体、全部で8000機と、この時代の偵察・爆撃機としては
驚異的な数が造られてるのですが、
実は第一次大戦が終わってからも
約10年ほど(1928年まで)生産が続いており、
当時としてはとても息が長かった機体なのでした。
これは羽布貼りの機体ながら、骨組みにかかなりの鋼管が使われていて、
当時主流だった木製機よりも耐用年数が長かったためらしいです。
余談ですが、この機体、最初はカッコつけて
ローマ数字でXIVと書いてたんですが、
終戦間際ごろの生産分から普通に14という表記になったようです。
パリの航空宇宙博物館ではXIVという表記になっていて、
何カッコつけるんだ、と思ったんですが、
戦中の機体ならあれで正解だったんですね…。
なんだかここら辺り、スピットファイアの番号表記を思い出すな。
単発エンジンの機体ながら全幅で
14.3mとかなり横に大型な機体で、
上から見ると、そのヤケに横に長い主翼がよくわかります。
注目して欲しいポイントは二点。
まず後縁部がギザギザになっている事。
バットマンスタイルという感じですが、
フランスでの展示機にはこれがなく、普通の直線翼です。
戦後生産型だけの特徴なのか、どっちかがレストアをミスったのか(笑)。
しかしこれが正解だとした場合、どんな効果を狙ったんだか
まったく見当がつきませぬ。
もう一つはラウンデル周辺とコクピット上の汚れ。
実はこれ、鳥のフンです(笑)。
この段階では特に気にして無かったのですが、
やがてこれが先に書いたイスで寝ていたおばさんと
一本の真実の糸で結ばれ、驚愕のフィナーレへと
一気に流れ込むことなります。
さて、本来は憎いはずのフランスからの購入機が多いのが
初期のタイ空軍の謎の一つです。
(厳密にはこの時期は陸軍航空隊だったらしいが)
となりのベトナムとカンボジアに居たフランス軍から
直接買えたから、という説もありますが、
ここら辺りはどうもよくわかりません。
ただしブレゲー14に関しては、どうも例の第一次大戦派遣部隊の連中が、
フランスでこの機体で訓練していたため、そのまま購入したらしいです。
そういや、例のミッチェルと写ってる写真の機体もブレゲー14でした。
ちなみにこれも価格表示があって1機あたり26700バーツだったそうな。
あれ、10年以上後に買ったフェアチャイルドより高いですよ、そのお値段。
なんだか微妙な数字も気もしますね、これ…
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