■タイの空



さて、そんなちびっ子モテモテ期で、またしても時間を食ってしまった。
もはや3時過ぎで、こりゃヤバイなあ、とこの辺りから考え始める。
で、彼らは珍しくキチンと左から回っていたので、
とりあえず逆方向に分かれる事に。

そこから本来の見学開始地点にようやく来ると、
なんだか工作機械が並んでます。
どうやらこれ、タイの航空産業の目覚め、という展示らしいです。

最初は海外から買ってきた機体の修理から始まった、
ということでこれは当時の修理用工作機械だとか。
その奥に見えてる小さなプロペラはエンジンテスト用のもの。
せまい工場でホンモノの長いプロペラを回したら危険すぎて死者続出ですから、
工場内でのエンジンテストではこういった短くて重いプロペラが
エンジンへの負荷として使われてました。

ちなみにタイ空軍は、この手のテスト用プロペラに、なぜかオーストラリアの
ホーカー デ・ハビラランド(Hawker de Havilland)製と言う
チョーマニアックな会社の製品を使用していたようです。
イギリス本国のメーカーは売ってくれなかったのか?



当時のタイの整備工場風景。

タイ空軍の設立は1913年というのは何度か書いてますが、
最初はフランスから4機づつニューポールとブレゲーを購入して始まりました。
(この博物館は8機としてるがブレゲーが5機で計9機とする資料もある)

ところが、買ったはいいが修理工場がありません(笑)。
ヨーロッパまで修理に持ってゆくわけには行きませんから、
自国で整備、補修するしかないわけです。
なので、そこからタイの航空技術は発展して行く事になります。

この写真はおそらく修理工場ですが、
後にタイは自国設計の機体まで生産してしまいます。
ただし、先にも書いたように工業力がありませんから、
量産、というレベルには至ってませんが…
そんな機体の一つ、パリバトラ(Paribatra)は次回登場します。

ただし、この写真を見ればわかるように、通常の工業レベルで理解できる
胴体や主翼はなんとかなったようですが、
エンジンに関しは全く手を出してません(笑)。
個人的にはエンジンはまともな維持管理すら
できてなかったような気がしてます…。



でもって、タイ空軍の歴史はここから始まった!
これが最初の機体、ニューポールIIや!という展示。
一目でレプリカなのはわかりますが、それにしてもなあ…という展示ですね。

ちなみに博物館の表記だとII&IVとなってますが、それ完全に別の機体ですよ…。
おそらく両者を2機づつ買ったのでしょうか。

とりあえず、この機体を造った皆さんの頭の中にあったのは
ニューポール II の方だと思います(笑)。



ちなみにもはや誰も覚えてないでしょうが、実は2011年のパリ航空宇宙博物館で、
ホントのニューポールIIを見てますから、再度、載せておきます。
見ればわかりますが、タイのレプリカは、この時代の主翼の構造を
まるで理解してないんですよ(笑)。
(現在の航空機のように上下面で覆って中に空間を造ってしまってる)
その段階で、他の部分に言及するだけ時間のムダだ、という事になります…。

せっかく世界中の博物館に行って研究してるみたいなんだから、
ここら辺り、もう少し努力してもいいんじゃないでしょうか。
余計なお世話かもしれませんが…。



でもってこっちが王立空軍博物館の皆さんがブレゲーIIIだと主張する機体(笑)。
こっちは私も実機を見た事がありませんが、まあ、もういいですよね…。



こちらはタイ空軍を生み出した5人衆、みたいな人たちらしいですが、
すみません、何度解説を読んでも、どういうキャラかよくわかりませんでした…。



てなわけで、向って左の一号棟の展示は見学終了。
再び中央ホールに戻って向って右の展示室に向いましょう。
かつての倉庫ですが(笑)、これが完全に生まれ変わっていたのです。

ちなみにこのF-5の機首にあるタイガーマーク、
別にF-5タイガーだからではなく、F-86D時代からあったものです。


NEXT