■展示機はこんな感じ



さて、その先から機体の展示がスタート。

タイ空軍100周年と言っておきながら、
いきなり1961年導入のF-86からですか?と思ったんですが、
これは本当は入口から左回りに見学するのを
逆方向の右回りで移動してしまった結果です。

が、言い訳させてもらうなら、私以外の見学者もほぼ全員、
右から回ってましたから(笑)、展示方法に問題があるのではないかと…

機体は、世界でお馴染みF-86の後期型、
F型ですから今さら解説はいいですよ…ね?
機体後部で開いてるのは着陸時に速度を落とすためのエアブレーキで、
これによって空気抵抗を上げて減速するわけです。

これはプロペラ機時代には無かった装置であり、米軍機でも
初代“本格量産”ジェット戦闘機F-80にはなく、
恐らくその運用のフィードバックから、F-84やF-86世代より
搭載されてゆく事になる装置です。

極めて小さな車輪(摩擦が少ない)で数百qの時速のまま着陸する
ジェット機では、着陸時の減速は死活問題で、
高速な航空機に長い滑走路が居るのは、
離陸よりもほぼ着陸のためだったりします。



ちょっと面白いというか、今まであまり記事で書いてなかったポイントを一つ。
機体横から下に伸びてる黒い線、米軍機によく見られるものですが、
これは搭乗時、または降りる時に
足を引っ掛けるステップの位置を示すものです。

この写真でも線の下にスプリング式のフタ付きで、
押すと穴が開いてる足掛け部が確認できるかと。

ついでに20mm機関砲の発射口の加工が
極めて滑らかなのも見といてください。
第二次大戦中のドイツ機や日本機の機首機銃の凸凹ぶりから比べると
スゴイ進化だな、というほかりません。
(ちなみに大戦中の英米の戦闘機は基本的にプロペラ回転の外、
主翼に機関砲を搭載していたので機首搭載は双発機以外ほとんど無い)



正面から、例のUSSRで撮影して見る。
かなり強烈な後退角が主翼に付いてる、というのがわかるかと。

この機体、コンディションはそこそこ、という感じで、
ある程度の資料性はあります。
余談ですが、F-86の前輪カバーの上、
この写真でタイヤの上に見えてる部分には、
本来、牽引車で引っ張るときの注意書きステッカーが貼られてます。

が、これ、ほとんどのプラモデルでもデカールが入ってませんし(笑)、
私の知る限り、現存機でこのステッカーがキチンと残ってるのは、
日本の東京都立産業技術高等専門学校荒川キャンパスという
書くのが疲れる長い名前の学校にある機体くらいだったりします。

当然、この機体にも残ってないのでした。
そういったものは、現役時代の機体の写真を徹底的に調べないと
どうしようもないのだなあ、と博物館の限界を感じる部分ではあります。



その隣は、これも世界でお馴染みの練習機、T-33のA型。
まあ、これも説明はいいですよね。

初代“本格量産”ジェット戦闘機F-80は正直言って
それほどの機体ではなかったのですが、
その武装を外して複座の練習機にしてしまったのが、このT-33です。
でもってこちらは世界的な大ヒットとなります。

ついでに注目は車輪を持ち上げ、タイヤが接地しないようにする
台座が下に付いて展示されてる点。
これだとタイヤに負担が掛からないので、
空気圧が無くなってもタイヤがヘタったりせず、その結果、
ホイール部が変形したりするのを避けれます。

以前は無かった工夫で、ここら辺りも
タイ王立空軍博物館の変化が見て取れます。



でもって、ここでもSSRを使用する。

主翼の左右に付いてるのは燃料タンクで、
一時こういった設計が流行りました。
最後は例のF-5にまで採用されてます。

一応、これで翼端の気流の流れを遮断できるので、
誘導抵抗が減る可能性がありますが、
高速飛行が目的のジェット機ではあまり意味がないですから
それにどんなメリットがあるのかよく判りませぬ。

普通に考えると、主翼の付け根に強力な力がかかる翼端部に
燃料タンクを付ける理由はあまり無いはずですが、
機体内部に燃料タンクを置く余裕が全く無かったんでしょうか。
(ロール時に重量物が遠くにあるほど主翼に掛かる荷重は大きくなる。
回転の力(トルク)=質量×加速度×半径
つまり強度設計に不利で、頑丈に造る必要から機体は重くなる)


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