■ここは見事に残ってた
その主プランの手前にある回廊部の建物は、
右側の人物と比べるとわかるように
かなり巨大なもので、結構立派だなあと驚く。
ただしここも柱はことごとく崩れており、
アユタヤ式建築、やはりなにか構造に問題があった気も。
さらに単純にレンガを積んだ壁を箱型に組んだ構造で
建物全体を支えているため、
壁に大きな窓が開けられなくなっており
(大きな穴を開けたらそこから崩れる)、
これ、現役時は中は真っ暗だったような気も。
とりあえず、日本のような地震多発国では
間違っても真似できない構造ですね(笑)。
(タイも北部、西部は地震が起きるがチャオプラヤー川下流ではほとんど無いはず)
まあ屋根に明り取りの穴があったかもしれませんが、
強烈な雨季のあるタイで
そんな大きな穴を屋根には開けられないでしょうし…。
ちなみに、ここは王立の講堂(Royal
Vihara)だったそうで、
英語解説では講堂(Assembly
hall)と書かれてますが、
一種の礼拝堂で、日本のお寺で言ったら本堂にあたる部分だと思います。
そこから入口方向を振り返るとこんな感じ。
壁のところどろこに漆喰塗りの跡が残ってます。
そこから見た主プランの上部。
荘厳、といった感じの装飾がなされてますが、
ご覧のように全体が修復中で、どこまでオリジナルのままなのか、
判然としない部分があります。
これ、確か仏教伝説のどっかの山をモチーフとしたタイプの塔だと思うんですが、
何の資料にあった話しだったか思い出せず、よって詳細不明(手抜)。
ここも主プランの周辺には小型の仏塔がいくつも並んでます。
ああいった円形塔はストゥーパじゃないかなあ、と思うんですが、
タイの皆さんが仏塔は全てプランと呼べ、というならそうなのかなあ。
あるいはストゥーパというサンスクリット語がタイ語には入ってないのか?
サンスクリット語で山盛りの堆積、といった意味の言葉なので、
ああいった形状は本来、まさにストゥーパなんですけどね。
ちなみに日本でストゥーパは
卒塔婆という意味不明な当て字がされた挙句、
なぜかお墓に置かれる木の板になってしまいました。
よくわからない仏教の国ですね…。
で、その講堂の先が主プランです。
かなりの高さがあるのですが、具体的な数字はどこにも解説が無く不明です。
なるほど、単純なレンガ積みで、これだけ長細い巨大な建物では、
補強しなきゃ老朽化で崩れるよなあ、とも思う。
で、ここでふと上を見上げると、主プランの内部に人が見える。
なんとここ、登って中に入れるようです。
マジですか、早速突入だと思うも、
これまたこの階段の先は行き止まりとなっており、
裏側の階段から上がるしかないみたい。
どこもかしこも、なんでこんな造りなんだと思いながら、
入口を探して裏に回りこみます。
ついでにこの基部、レンガではなく石組みのようです。
さすがにあれだけの重量物、
小型レンガだけでは支えきれないんでしょうかね。
ちなみにこういった石積みの土台の上に主プランを建てるのは
典型的な初期アユタヤ式建築なんだそうな。
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